日本の合戦 5
写真は「椿」 慣用句 「事を構える」 些細なことをおおげさに扱って、わざわざ争いごとを起こす。使い方 「野党は事を構えることばっかり考えている」日本の合戦 5 平安期には、渡来人から様々な陣形を学んだ。 魚鱗は三角形に兵を配す陣形で、敵陣の中央突破に用いられ、三方ヶ原の戦では、信玄がこれを用いて家康を破った。 鶴翼というのは、両翼で敵を包む込み、雁行は斜めに棒状にするもので、雁が群れをなして飛ぶ形に似ているが、この形は魚鱗にも鶴翼にも変化させらることができる。 わん月というのは半月形で、攻めて来る敵を受け止め、攻撃に出る陣形である。 鋒矢は矢印に陣を敷き、鋒先のように中央突破を図る。 こうやくは先陣を鶴翼にして、二の手以下を本陣の左右に配し、鋒矢の陣形で攻めてくる敵を包み込んで撃退する形である。 方円は円形の陣形で、全方向に向いて守り抜き、野営や、救援を待つ時に用いられた。 大将などの上級武将は、同行した料理人が食事を作っていた。 下級武士や足軽の場合は、戦の時には約900g(6合)ほどの干飯を、腰袋に入れて持参していた。 籠城の際にも、一人分の米は一日900g、塩19g、水1,8リットルが必要とされていた。(塩分多過ぎ?) 他に梅干、味噌、胡麻が携帯品として欠かせなかった。胡麻は、一日一粒で寒さ暑さに抵抗できると言われていた。 足軽たちは、戦場では陣笠を鍋に使って、干飯を軟らかく炊いて食べていた。干飯は水で戻して食べるのが普通だったが、腹を壊さないようにしていたのだ。 戦の最中は、生米をかじる場合もあった。 立花宗茂は、厳冬の暁に出撃する時、3千人の将兵のために屯営で白米の粥を作り、大釜で酒を温めて全員に振る舞い、「これで寒さを凌ぎ、雌雄勝負の決戦に臨もう」と檄を飛ばし、勝利を得た。 酒は寒さを凌ぎ、景気付けのための妙薬だった。しかし、野営の陣での酒は禁物で、大軍で佐嘉城を攻めた大友軍は、重臣たちが酒を飲んで熟睡したところを襲われた。襲ったのは300人の寡兵だったが、奇襲に慌てたため、なんと同士討ちになったりして大混乱となり、大敗してしまった。 酒盛りは野戦につきものだったが、大敗を招く原因でもあった。 現代語「源氏物語・花散里」はこの前にあります。