妖怪学5
サツキ 平安時代になると、仏教の因果応報の考え方が人々に行き渡って、鬼や天狗が跋扈し、死霊、生霊、幽霊が活躍した。死霊は死後の霊が姿を見せずに活動する。生霊は生存中に霊が肉体から遊離して活動する。幽霊は死後、生前の姿で現れて活動する。鬼は、オニとモノの二通りの読み方があった。 菅原道真は、宇多天皇に重用されたが、藤原一派に、「醍醐天皇を廃して斉世(ときよ)親王を建てようとしている」と讒言され、陥れられて大宰府へ流された。斉世親王は宇多天皇の息子で、道真の娘が妃だった。二年後に道真が失意の内に死ぬと、醍醐天皇の清涼殿に落雷し、柱を直撃、藤原清貫が胸を裂かれて死に、平希世が顔を焼かれた。また、干ばつ、飢きん、疫病がはびこった。天皇は譲位し、出家したもののその日の内に死んでしまった。それらはすべて道真の怨霊のせいにされ、道真は天満宮として祀られた。 平将門は、関東で挙兵し新王を名乗ったわさされが、それも道真の怨霊に動かされたのだと噂された。 崇徳院は後白河天皇と平清盛に敗れて、讃岐へ流された。指先の血で五部大乗教を書いて、京都の寺に納めたいと願ったが叶えられず、経典の奥に呪詛の言葉を残して、大天狗になった。崇徳院は8年後に死んだが、怨霊は明治時代まで崇り続けた。平家滅亡は、源頼朝を崇徳院の怨霊が動かしたからだと言われていた。