無心
聖人は恒に無心、百姓の心を以って心となす。「道」を体得した聖人というのは、いつも無心であって、民の心をそのままわが心としているのだという。「百姓」とは一般大衆と言ったほどの意味で、必ずしも農民だけを指しているわけではない。老子はこう語ったあとで、さらに、次のように続けている。「善であろうと不善であろうと、そのまま善として受け入れる。だからいつも信を体現している」心にいっぱい雑念が詰め込まれていたのでは、どうしても判断がにぶって、柔軟な対応ができなくなる。外部の情勢は常に変化する。その変化に対応するためには、なるべく雑念を取り除いて、心にスペースを作っておかなければならない。むろん情報の収集は必要である。だが情報に振り回されてはならない。決断を成功させるためには、無心になりきれるかどうかが大きなポイントになる。