天上大風
良寛(1758年~1831年)曹洞宗の僧、出雲崎の名主である橘屋山本家に生まれる。18歳で出家し諸国行脚の後、ふるさと越後に帰り、一衣一鉢、空庵に住み詩歌と書を残す。 生き方、自然を愛する心は現代にも通じる。晩年は島崎・木村家に移り74歳で病疫。隆泉寺に弟「由之」と共に眠る。良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたという)。名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。長善館は、1833(天保4)年、鈴木文臺(ぶんたい)によって越後長岡藩粟生津村(現在の燕市)に創設された私塾である。1912(明治45)年に閉館するまで1,000人以上を教育したとされる。鈴木文臺は良寛とも親交があり、門人である燕の東樹氏が良寛の「天上大風=子供の凧に書いてやったもの」を手に入れ、文臺が由来を書いて、嘉永6(1858)年に一幅の軸とした。吉田町良寛会が、昭和58年に「天上大風の碑」を建てた。跡地に資料館が建ち、1837年に落下した「米納津隕石」(重さ31.65Kg)のレプリカが展示されている。 長善館 http://www.city.tsubame.niigata.jp/guide/school/shiryoukan/tyozen/tyozenkan/index.html 撮影 2011年04月04日13時25分 1/60 F6.3 ISO100 燕市粟生津 長善館