失恋は女を美しくする「アデル、ブルーは熱い色」
昨年2013年のカンヌ国際映画祭のパルムドール賞受賞作品、「アデル、ブルーは熱い色」 GWのある日、私は美容室で雑誌を拾い読みしていた。髪は赤にカラー中。何気なしに映画紹介のページを見ていたら…。そう、眼にしてしまったのだ。この作品の映画評を。胸がドキドキして、すぐその場で上映館を探した。最寄りの映画館は昨日までだった。クソッ。しかしまだある。あと1週間で上映が終わってしまうが、まだ見られる。翌日私は上映館へと急いだ。早くアデルに会いたい。そしてエマに恋したい。ストーリーアデルは高校生。毎朝自宅からバスに乗り学校へ行く。授業を受けて友だちとおしゃべりして…。そんな毎日を過ごしていたが、上級生の男の子に誘われ、デートすることに。待ち合わせ場所に急ぐ彼女の前に、ブルーの髪が美しい女が現れる。横断歩道ですれ違った二人。無性に気になり、見つめるアデル。連れの肩を抱いて歩きながら、振り返るブルーの髪の女。デート相手とベッドを共にしても、ブルーの髪の女が気になって仕方がない。夢で彼女と抱き合い、満たされた思いで目が覚めた自分に驚くアデル。友だちと諍いをしたアデルを、慰めてくれた友人はバーに連れて行く。踊りに行った友人と離れ、独りで佇むアデル。ふと眼に入ったのはあのブルーの髪の女、エマ。人ごみに見失いそうになりながら、エマを追いかけたアデルの前に、エマがやってくる。そして二人は…。切ない映画だった。アデルと一緒にエマに恋して恋して、そして破れて。だって好きって言ったじゃない。あんなに激しく抱き合ったじゃない。アデルの泣き顔がそう言っている。女同士だから禁断の恋ではない。ただ愛し合っただけ。出会って恋に落ちて、好きで好きでたまらなくて、毎日が輝いていて。ずっと一緒にいることができると信じていたのに、どうして時は残酷なんだろう。美術学校の学生から、画家になったエマ。念願の教師になったアデル。一緒に暮らしているのに、アデルはエマの絵のモデルになったのに、少しずつ歯車が狂い始める。エマの家で、彼女の友だちを招いてのパーティの日。エマと親密に話をする女性、リーズがいた。彼女は臨月のお腹をかかえ、エマの隣に寄り添う。気になるアデル。その夜、家事を済ませてベッドに入るアデルに、エマは言ったのだ。文章を書く才能があるから、作家になればいいのにと。アデルは安定した職業の教師になりたかったんだからとエマに言うが、「せっかくの才能がもったいない。教師が本当にやりたい仕事なの」とアデルに言う。アデルはそうだと言い、エマに甘えるが、エマは月のものだからと拒否する。そう、少しずつ二人の歯車が狂ってきた。リーズと一緒にアトリエにこもり帰宅しないという留守電を聞いて不安になるアデル。以前から誘われていた同僚の元へ行き、一緒に酒を飲む。どうして相手のことを信じ切れなかったんだろう。否、相手を信じられなくても、どうして自分の気持ちを信じきることができなかったんだろう。こんなに愛しているのに。どんなに寂しくても不安でも、自分の相手への気持ちを信じていれば、あんなことにはならなかったのに…。いや、エマは最初言ったではないか。「偶然はない」と。この結果も偶然ではなかったのだ。そう必然。号泣するアデル。時間が経っても、まだエマのことを考えると涙があふれてくる。どんな時もエマのことを思い涙が流れる。エマに再会した時、その想いが溢れる。たとえ想いが遂げられなくても、エマを愛した、エマと愛し合った時間が大切なのではないだろうか。傷ついた経験さえ、鮮麗な思い出になる。その経験があるからこそ、これからの人生が豊かになるのだ。大丈夫、アデル。エマと愛しあい失った経験が、貴方の次からの恋を豊かにするから。相手が、女でも、男でも。