山口県岩国市 『吉香神社』
読みは「きっこうじんじゃ」。岩国藩主、吉川氏歴代の神霊を祀る神社。本殿、拝殿、幣殿、神門、鳥居は国指定重要文化財に指定されている。御祭神は吉川元春、吉川經義、吉川友兼、吉川經基、吉川興經、吉川元長、吉川廣家、吉川經幹、吉川廣嘉。いずれも岩国藩主だった吉川氏歴代の神霊。岩国藩主の祖先である吉川元春が、天文年間に祠を建て祖霊を奉祀したことが始まり。後に岩国藩主吉川氏の先祖を祀る三社を統合し、1884年(明治17年)に御土居跡に建立され現在に至る。現在の社殿は1728年(享保13年)に白山神社の境内に造営され、1885年(明治18年)に現在の場所に移築された。春は桜やツツジ、初夏にはアジサイ、秋には紅葉が周辺を彩る。かつては社殿の左手に天然記念物にも指定されていたエンジュの巨樹があったが、幹の空洞化によって大部分が伐採されてしまっている。参道入り口の石橋。外堀。鯉と亀が泳いでいて、鴨もおり、時々白鳥がいることもある。一の鳥居。くぐったすぐ先の両脇に玉乗りの狛犬がある。田中穂積先生胸像。元日本海軍の軍人で作曲家の田中穂積の胸像と同氏の代表曲「美しき天然」の歌碑。1954年(昭和29年)に田中穂積顕彰会が設立され、彼の名誉を後世に伝えるために建立された。周辺では美しき天然がずっと流れ続けている。二の鳥居。国指定重要文化財に指定されている。この鳥居から神門、拝殿、本殿と一直線に繋がる構造になっている。神門。国指定重要文化財に指定されている。檜皮葺の四脚門で、冠木の中央には吉川家の家紋がある。拝殿。国指定重要文化財に指定されている。1728年(享保13年)に建立されたもの。入母屋造で、背面に幣殿が張り出している。神門、拝殿、幣殿、本殿が同時期の建築で揃っているのは大変貴重であるという。本殿。国指定重要文化財に指定されている。1728年(享保13年)に建立されたもの。横からの写真しか撮れなかったので全体像が見えないが、三間社流造で正面に軒唐破風と千鳥破風が付く構造となっている。吉香公園の古桜。吉香公園には明治時代に植えられた古い桜が数多く残っている。この桜は明治時代に植えられた百年桜と呼ばれる桜の一本であると言われている。褒忠社。吉香神社の末社。岩国領初代領主の吉川広家が竜門寺境内に節臣廟を建立し、死節の家臣を祀り回向所としていたが、廃藩後にそれを神社に改めたもの。吉香公園のエンジュ。かつては高さ約25m、幹の周囲は3.3m、樹齢は約130年。公園のシンボル的な存在で天然記念物にも指定されていたが、幹の空洞化によって2018年(平成30年)に指定解除され、安全を考慮して大部分が伐採されてしまった。池と藤棚。東の鳥居。御土居跡。吉川広家がこの地へ移封され、岩国領初代領主となったときに建立した、日常の居館である御土居の跡。現在は公園化されている。1615年(元和元年)に江戸幕府から一国一城令が出され、山上に築城された岩国城は廃城・破却されることとなり、以後はこの御土居が岩国領・岩国藩の陣屋となり廃藩まで利用された。当時の建造物はほとんど現存していないものの、外堀や石垣など一部が残っている。錦雲閣。吉香神社の南隅にある矢倉に似せて造られた絵馬堂。元々この場所には三階建ての矢倉があり、1885年(明治18年)に御土居跡が公園化されたときにこの絵馬堂が建立された。旧吉川家岩国事務所。県指定文化財に指定されている。岩国藩主の吉川家が1889年(明治22年)頃に建設した邸宅。近代日本の代表的建築家の1人である堀口捨己が設計したもので、同氏の現存する初期の作品として貴重なものとなっている。旧吉川邸厩門。岩国藩13代藩主で、明治維新後に岩国藩知事も務めた吉川経健の邸宅にあった長屋門。1892年(明治25年)に建立されたものだといわれている。邸宅は岡山県にある後楽園に移築され、鶴鳴館と呼ばれている。吉川広家公像。岩国領初代領主、吉川広家の像。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村