京都府京都市 『今宮神社』
平安建都以前より疫神を祀る社があったと伝えられる神社。別名「玉の輿神社」。本殿、幣殿、拝殿など32の建造物が国登録有形文化財に登録されており、やすらい祭りは無形重要民俗文化財に指定されている。本社の御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)。疫社の御祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)。健康長寿、災疫鎮静、開運の御利益がある。また、八百屋の娘で、後に徳川家の側室となり5代目将軍徳川綱吉の母として従一位に叙された"お玉"こと桂昌院の氏神社であったことから、玉の輿の御利益がある。元々当社が鎮座していた場所には疫神を祀る社があったと言われている。平安建都の後に平安京が都市として大きく栄えた一方で、疫病や災厄が立て続けに起こり、これらを鎮めるために御霊会が開かれる。994年(正暦5年)にも大規模な疫病が流行したため、朝廷は当社の疫神を2基の神輿に乗せて船岡山の上に安置し、悪霊退散を祈った。これが紫野御霊会、今宮祭の起源と言われている。この時に平安京の人々は皆、神輿に供して船岡山に登り、囃子に合わせて唄い踊り、疫病を依り移した人形を難波江に流し安寧を祈ったといい、これが後のやすらい祭りに繋がったという。1001年(長保3年)にも疫病が流行し、朝廷は船岡山から現在の地に疫神を奉遷し、神殿を造り今宮社と名付けた。これが当社の始まりと言われている。古くから朝廷、武家、民衆からの崇敬が篤く、特に5代目将軍徳川綱吉の母である桂昌院から篤く崇敬され、荒廃していた社殿の造営を行った他、やすらい祭りの復興などにも努めた。1896年(明治29年)に社殿が焼失したが、1902年(明治35年)に再建され現在に至る。東門から続く参道には門前名物菓子「あぶり餅」の店がある。あぶり餅は今宮神社に奉納された竹串に小さな餅を刺し、炭火で焼いて特製の白味噌だれを絡めたもので、食べると無病息災の御利益があると言われる。また、あぶり餅の店「あぶり餅 一和」は日本最古の和菓子屋として知られている。毎年10月8日、10月9日に例大祭が行われている。5月に御霊会を起源とする今宮祭が行われ、神幸祭、湯立祭、還幸祭の順番で行われる。4月第2日曜日に同じく御霊会を起源とし、京都三大奇祭の一つにも数えられるやすらい祭りが行われる。表参道。楼門。国登録有形文化財に登録されている。朱塗りの大きな楼門で、1926年(大正15年)に建立されたもの。両側に回廊がある。手水舎(お玉の井)。1694年(元禄7年)に桂昌院が寄進したもの。建築当初は水盤が東向きになっていたが、後に北向きに変えられている。絵馬舎。国登録有形文化財に登録されている。1800年(寛政12年)に再建されたもの。拝殿。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)に造営され、1846年(弘化3年)に改修されたもの。2005年(平成17年)に「西陣の日」事業協議会から奉納された、西陣織で作られた三十六歌仙の額が掛けられている。社殿。国登録有形文化財に登録されている。本殿、幣殿、廻廊、拝所の構成で、いずれも1902年(明治35年)に再建されたもの。本社。中御座に大己貴命、東御座に事代主命、西御座に奇稲田姫命を祀る。疫社。本社の正面左側にある。当社が鎮座する以前にあった疫神を祀る社で、素盞嗚尊を祀る。社務所。玉の輿守や織姫守などの御守りや、健康・厄除けのやすらい人形などの授与品がある。阿呆賢(あほかし)さん。今宮の奇石。病弱な人はこの石に病気平癒を祈り軽く撫でて、身体の悪いところを摩れば健康の回復を早めるという。また、軽く手の平で三回石を打ち、持ち上げてみると石が重くなり、再度願いを込めて三回手の平で撫でて持ち上げ、軽くなれば願いが叶うと伝えられている。織姫社。御祭神は栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)。織物の美しさや巧みさを司る神様で、技芸の上達を願う女性に崇敬されている。七夕伝説の織女に機織を教えた神様と言われ、織物の祖神とされている。紫野稲荷社、織田稲荷社。小高い石垣の上に鎮座する2つの稲荷社。紫野稲荷社の御祭神は宇迦御魂命(ウガノミタマノミコト)で、織田稲荷社の御祭神は織田信長公とその家臣。織田稲荷社は信長公の墓所阿弥陀寺の跡地に鎮座していたが、1987年(昭和62年)にこの地に遷座した。若宮社。国登録有形文化財に登録されている。中央の若宮社に伊弉那美神(イザナミノカミ)、右側の加茂斎院に歴代斎王の御霊、左側の若宮社に藤原仲成・藤原薬子らの御霊を祀る。子授けの御利益がある。手前に拝殿がある。日吉社、大将軍社、八幡社。3社とも国登録有形文化財に登録されている。日吉社の御祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)、大物主神(オオモノヌシノカミ)。大将軍社の御祭神は牛頭天王、八大王子。八幡社の御祭神は応神天皇、比咩大神(ヒメオオカミ)、神功皇后。八社。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)頃に建立。境内西側にある細長い社で、大国社、蛭子社、八幡社、熱田社、住吉社、香取社、鏡作社、諏訪社の八社を祀る。宗像社。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)頃に建立されたもので、「弁天さん」とも呼ばれている。御祭神は多紀理姫命(タキリヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。社殿側面の台石のところに長さ60cmほどの鯰の彫り物があり、神の使者として彫られたものだと言われている。月読社、地主稲荷社前の石鳥居。鳥居をくぐって石畳の参道を上ったところに、月読社と地主稲荷社がある。月読社。国登録有形文化財に登録されている。1910年(明治43年)建立。御祭神は月読尊(ツキヨミノミコト)。地主稲荷社。国登録有形文化財に登録されている。1842年(天保13年)建立。倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)。当地の地主神として祀られている。神馬舎。唐崎の松。琵琶湖の湖畔に鎮座する日吉大社の摂社である唐崎神社の境内に植え継がれている霊松。当社の松は2020年(令和2年)に植えられたもの。桂昌院のレリーフ。桂昌院は、1628年(寛永5年)に八百屋の娘として生まれ、名前は玉といった。その後武士の本庄宗正の娘となり、江戸城に入った後大奥で仕え、徳川家光の側室となり、5代目将軍となる綱吉を産み、生母となる。晩年には従一位に叙され、79才で没した。これらの出世劇から、桂昌院の名前だった玉に由来し、"玉の輿"の語源になったと言われている。桂昌院は終生神仏を敬い、中でも今宮社の崇敬が篤く、社殿の造営や神領を寄進した他、やすらい祭りの復興にも努めた。このように桂昌院との関わりが非常に深い神社であることから、やがて今宮神社は玉の輿神社とも呼ばれるようになった。神橋。東門。国登録有形文化財に登録されている。1881年(明治14年)に再建されたもの。東門前の参道。門前名物菓子「あぶり餅」の店があり、参道には焼いている餅のいい香りが立ち込めていた。あぶり餅の店は「あぶり餅 一和」と「あぶり餅 本家根元 かざりや」の2軒で、石畳の参道を挟んでお互い向かい合わせに建っている。かざりやの創業は1637年(寛永14年)で非常に長い歴史を持つが、一方の一和の創業はなんと1000年(天保2年)で、1000年以上の歴史を持ち、日本最古の和菓子屋として知られている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村