奈良県奈良市 『東大寺』
「奈良の大仏さま」があることで知られる、奈良時代に創建した華厳宗の大本山である寺院。大仏殿(金堂)、南大門、盧舎那仏(奈良の大仏)は国宝に指定されており、東大寺は古都奈良の文化財の一部として世界遺産に指定されている。本尊は盧舎那仏(奈良の大仏、東大寺大仏)。聖武天皇の発願により、全てのものの幸福を願い造られ、745年(天平17年)に制作が開始、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会が行われた。寺院の創建は、733年(天平5年)に若草山麓に創建された金鐘寺が東大寺の起源と言われている。741年(天平13年)に国分寺建立の詔が発せられたことに伴い金鐘寺が昇格し、寺名も金光明寺に改められた。743年(天平15年)に盧舎那仏造立の詔が発せられ、747年(天平19年)に大仏の鋳造を開始。この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと言われている。元々国分寺として建立され、国家の安寧と国民の幸福を祈る道場だったが、同時に仏教の教理を研究し学僧を要請する役割も持っていたため、学問寺として多くの学僧を輩出した。平安時代以降は度々、災害や戦火によって倒壊・焼失を繰り返しており、1180年(治承4年)には平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめとする伽藍の大半が焼失してしまう。しかし翌年に重源上人によって復興が進められ、鎌倉時代には無事復興し再び教学活動が活発になった。ところが1567年(永禄10年)に三好・松永の乱が起こり、再びほとんどの主要堂塔が戦火に巻き込まれ焼失。復興にはかなりの年月を要したが、江戸時代に公慶上人の活躍により再興。明治時代には神仏分離令や寺社領没収によって存続の危機に立たされたが、寺院改革や諸伽藍の維持に努め、現在に至る。本尊の盧舎那仏は「奈良の大仏さま」とも呼ばれ、全国の人々から親しまれている。境内には世界最大の木造建築とされている大仏殿(金堂)や、国宝の木造金剛力士像が安置されている南大門、毎年修二会が行われている二月堂など、多数の見どころがある。大仏殿・法華堂・千手堂・東大寺ミュージアムはそれぞれ入堂料が必要であり、大人(中学生以上)は600円、小学生は300円。南大門。東大寺の正門。国宝に指定されている。創建した時の門は962年(応和2年)に台風で倒壊しており、現在の門は1199年(正治元年)に再建されたもの。屋根裏まで伸びる18本の大円柱は21mあり、門の高さは25.46mある。正面の上部中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられており、門内には木造の金剛力士像が安置されている。南大門に安置されている木造金剛力士像。こちらも国宝に指定されている。門に向かって右側に安置されているのが吽形(うんぎょう、口を閉じている方)、左側に安置されているのが阿形(あぎょう、口を開いている方)。1203年(建仁3年)に運慶や快慶らの仏師によって、わずか69日で造られたもので、高さはどちらも8.4mある。鏡池。中門の前に位置する大きな池で、角度によって大仏殿のリフレクションが見れる。奈良公園の鹿。奈良公園とその周辺の山間部に約1200頭以上生息するニホンジカで、国の天然記念物に指定されている。飼育動物でなく、れっきとした野生動物。奈良公園の各地では、鹿のおやつとなる「鹿せんべい」が販売されており、自由に与えられるようになっている。中門。金堂(大仏殿)。国宝に指定されている。本尊の盧舎那仏を安置する。大きさは間口57.01m、奥行き50.48m、高さ48.74m。聖武天皇の発願によって8世紀に創建されるも、2度の戦火で焼け落ち、現在の大仏殿は江戸時代に再建されたもの。間口の大きさは創建当初88mあったものの、再建の度に縮小され、現在は3分の2程度の大きさになっている。しかし奥行きと高さは現在も変わっておらず、木造の建築物としては世界最大級の大きさを誇る。八角燈籠。国宝に指定されている。東大寺創建当初のもので、幾多もの災害や戦火を免れた数少ない建造物の一つ。扉の4面には雲中を走る4頭の獅子が、他の4面にはそれぞれ異なる楽器を持った音声菩薩が浮き彫りされている。真下から見上げた大仏殿。朽ち具合や色落ちしているところが相当な年季を感じさせる。「奈良の大仏さま」こと盧舎那仏像。国宝に指定されている。像高は14.98m。聖武天皇が国家の安寧と全てのものの幸福を祈り造像を発願し、745年(天平17年)に制作が開始され、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会が行われた。南大門や大仏殿と同じく、災害や戦火に巻き込まれ損壊・焼失を繰り返しており、現在の仏像は頭部が江戸時代、胴部の大部分は鎌倉時代に補修されたもの。しかし、台座や両腕から垂れ下がる袖など、建立当時のものも一部であるが残っている。虚空蔵菩薩像、如意輪観音菩薩像。大仏の左右に脇侍として安置されている。木造の仏像で、30数年かけて造られた。廣目天像、多聞天像。堂内の北西と北東に安置されている、仏教における四天王のうちの2体。残りの2体の四天王(持国天、増長天)は未完成に終わり、身体の一部が堂内に安置されている。創建当時の伽藍の様子を復元した模型。かつて存在した七重塔も復元されている。鎌倉時代に再建した大仏殿の模型。江戸時代に再建した現在の大仏殿の模型。二月堂。国宝に指定されている。旧暦2月にここで修二会(お水取りとも呼ばれる)が行われるため、この名が付いた。ここで行われる修二会は大仏開眼の752年(天平勝宝4年)から始まり、現在に至るまで途絶えずに続けられている。本尊は大観音、小観音と呼ばれる十一面観音菩薩で、何人も見ることが許されない秘仏。閼伽井屋。修二会の際にこの屋内にある井戸から、二月堂の本尊十一面観音菩薩にお供えする御香水(閼伽水)を汲む儀式を行う場所。法華堂(三月堂)。国宝に指定されている。733年~747年(天平5年~19年)までの創建と言われており、東大寺最古の建築物。本尊の不空羂索観音菩薩像(国宝)をはじめ奈良時代を代表する仏像を安置している。盧舎那仏像が造立される以前から華厳経が講じられてきたと伝えれる。四月堂(三昧堂)。法華三昧会が旧暦の4月に行われていたためこう呼ばれている。十一面観音像、阿弥陀如来像、普賢菩薩騎象像が安置されている。にほんブログ村