ガン
ブラックジャックによろしく(8(がん医療編 4))あいかわらず、『ブラックジャックによろしく』を読んでいる。つったって、前回記事6巻だったのを、まだ8巻なので大して進んでないが(笑この漫画、すげえ疲れる。ということに、気付いた。読み応えがあるとは言え、所詮漫画。時々見惚れるコマがあるにしても1冊20分かそこらで読み終わる。でも、疲れる。どうやら、読んでいる間にたくさんのことを考えているみたい。6巻・7巻・8巻と、ガンの話だった。すい臓ガンに侵された患者を主人公が担当することになり、ガン医療の矛盾と向き合うことになる。実は、私が高校生のとき、母が乳がんになり、手術・抗がん剤・放射線、といった一連の治療を受けている。私が高校生のときの話なので、既にガンは「完治」していて、次にガンが発見されれば、それは再発や転移ではなく、新たなガンだろう、と言われているらしい。その当時のことを思い出してみるのだが、ガン治療のために入院したはずだから、それなりの期間、母の居ない生活を送ったはずなのに、その記憶が殆ど無い。入院中の母に『山霧』を読んでいることを話したら、受験勉強の障りになるからとえらく叱られたことくらい。入院して家に居ないくせに私を縛るのか、と腹が立って、一晩でその本を読み上げたのは覚えている。意地で読み上げた本なので、中身は全然覚えていないが。母を失うかもしれない、と考えた記憶が無い。「悲しい」と思った記憶が無い。いや、その記憶すらない、と言った方が正しいのか。確かに母が居ない生活は、不便だったはずだ。高校は遠かったし、田舎なのでスーパーも遠い。どうやって母が居ない間の生活を成立させていたのか、それすらも記憶に残っていない。ただ、深夜まで『山霧』を読んだ、そのことしか記憶に無い。『ブラックジャックによろしく』の8巻で、その患者は亡くなる。夫も、息子も、娘も、その死を受け入れる。私は、母がガンだと言われたとき、どうだっただろう?さっぱり記憶に無い。『山霧』を読みながら、腹立たしく思った記憶しかない。私は、ずっと母の死を望んできた。母が死ねば、解放されると思っていたから。それが出来ぬなら、自分が死にたい、と思っていた。それはつい最近まで、変わりなく念じ続けてきたことだ。母がガンだったときはつまり、私の「願い」がとても叶いやすい状況だったと思う。少なくとも、簡単に想定できることだったと思う。なのに、そのときの記憶が無い。私は、あの時、どう思ってたんだろう。