歴史群像『土方歳三』
つい先月末発売されたばかりのムック。ムック、という形態なので、一人の著者ではない。土方という共通点はあるけれども、研究者であったり作家であったり、著者は色々で、人によって視点が違う。土方(たち)は、武士に憧れていた、と書く人。憧れていたのではなく、武士だったのだ、と書く人。沖田は池田屋事件の時、すでに結核を病んでいたと書く人。沖田が結核を発病したのは、池田屋事件の後だと書く人。それぞれに、それぞれの視点があり、つい何ページか前で否定された通説が、あっさり復活したり、その逆だったり。これぞ、ムック、という感じで面白い。考えてみれば、大学時代はこの手の本を国文学分野に限って色々読んだけれど、この形態に馴染めず、はじめは随分とまどったものだ。慣れてしまえば、これもまた面白いのだけれど(笑先日読んだ、『会津藩主松平容保は朝敵にあらず』と重なる部分も多く、『会津藩主……』で書かれていたことが、見解の主流にあるのではないかと思えた。とはいえ、歴史的見解についてアレコレ言うのは私は幕末を知らな過ぎるのだけど。既に新選組や土方や幕末について、それなりに深い人ならば、今更……というところも多いのだろうけれども、何せ新参で、何も分からぬ状態なので、面白く読めた。少しずつ歴史に脚突っ込んでいくと、小説には虚構が多いことが分かる。大正まで生きてた人だって居るんだもん、そんなに虚構が多くないだろう、なんて思ってたのはとんでもない思い違いのようで、面食らう。小説やマンガも面白いのだけれど、それはそれで、ストーリーを楽しむための虚構だ。そういえば、大学時代、毛利元就が専門の日本史の先生の講義で、毛利家は大名として明治まで残ったために、史実が確認されすぎていて、虚構としては面白みに欠けるからドラマにはなりえない、というのが歴史学者内の共通の見解になっていたのに、大河で毛利元就を扱われることになって仰天した、と言われたことがあった。史実が分かりすぎる、というのは想像を差し挟む余地が少なくなることとイコールで、虚構を織り成す、作家などには面白みに欠けるだろうと思う。歴史としての面白みと、虚構としての面白みは、ベツモノだ。ま、たぶん、両方面白いだろーけどね(笑でも。致命的に、時系列が分かんない(笑うぬぬぬぬ。思えば、高校時代は遠い昔に過ぎたことだと、妙に感慨深い。読んできた小説やマンガのおかげで、雰囲気は分かるんだけどさー。年表作んないと、ワケ分かんないよ、これ。年表、作るかー?うぬぬぬぬ。面倒ぢゃー。5月の歴史群像は、新選組とか彰義隊とか白虎隊とか、そういう幕末に奮戦したグループ(?)特集らしい。こっちで年表作ってくれたり、しない……よなあ(嘆息どーでも良いけど、こっちの土方んが、カッコいい……。古本屋で探せるかなー。