いてくれるだけでいい
2・3年をめどに家を建て替えたい、と言っていたはずが、気がつけば、2・3カ月をめどに着工したい、に変わってました……。をいをい、単位、ちがくないか?と言いたいところだけど、建てたい家が固まってきたので、あとは土地と金の問題に絞られてきたし、それはそれでオケ。土地も、今の自宅より、もう少し実家よりになるところで、(といっても、徒歩2分が徒歩1分になっても大差ないけどね)なんとかならないかと目星を付けているところです。私が交渉というものが下手な上に、実家の両親も世間知らずなので、私の実家にも関わらず、両親に相談してくれたのは、旦那でした。さすが、営業マン。あのわからず屋の両親相手に、なかなか健闘してくれてます。でも、やっぱりでましたよ。同居。完全同居がダメなら、せめて二世帯。……正直。二世帯住宅と、隣の敷地に新築、の差がわかりません。靴を履いて10メートル歩くか、渡り廊下かドア1枚、ってそんなに大きな差だとは思われないのですが。何とか、隣の別敷地を死守したいと思ってます。あたしは、女ばかりの三姉妹の長女で、御家信仰に凝り固まった母から、本来長男が求められるところの、嫡子のような扱いを受けてきたわけ。いずれ家を継ぎ、墓を守り、両親の最期を看取り、当然同居、みたいなことね。そういうのをマルっと全部、あたしに押し付けられてきたわけ。それを実行すると約束したのは、物心つくかつかないかの頃、まだ小学生のうちだったから、罪もない口約束だと笑い飛ばして良いはずなのだけど、母の中では大切な約束になっていて、あたしのなかでは逃れ得ない大きな重荷になってた。けどさ。AC自覚して、なんとか精神の均衡を取り戻して、なんてことをやってると、同居ってどう考えたって、ぜーったいに無理って思えるのよね。子供のこととか仕事のこととか考えると、近居ってのはありがたいけど。考えただけで、いや。想像しただけで、ダメ。絶対に、絶対に、ダメ。そんな感じで、拒否したい気持ちだけがすごく強くなったんだけど。某住宅展示場で担当さんの話を聞いていたら、スコッと気が楽になった。それが掲題の「いるだけで良い」。どんな家を建てても構わない。同居が厭なら二世帯住宅でも構わない。すぐ近くにいてほしい。いてくれるだけで、良い。それが、その担当さんが家を建てようとしたときに、実際に義両親から言われた言葉で、幸い、広い敷地があるのを良いことに、実行したのだとか。同じことだと思いますよ、と。同居も二世帯もイヤだ、という強い気持ちが先に出てしまっていたけど、旦那が両親と話してきてくれたことを丁寧に聞いてみると、根底には同じ感覚があるのが、確かに感じられて。同居とか、長女とか、墓守とか、そんな形ばかりのことじゃなくて。娘夫婦や孫たちに囲まれて、年老いていくって、幸せなことなんじゃないかって。それが、両親の求めてることなんじゃないかって。やっと、わかった。これを文章にしながら、「いてくれるだけで良い」って書いたら、涙がどうしようもなくあふれてきた。ずっとずっと、言ってほしかった言葉なのだな……。