いつかどこかで……
風呂上りに子どもを追いたてた後の脱衣室で、化粧水のボトルの影にひっそりと隠れていた瓶に目がとまった。それは若い時分に愛用していた香水の一つで、十年来、ひっそりと化粧水の裏に隠れていたのだった。そう、夫と出会った頃につけていたのが、このトワレだ。初めての夜、キョウコの匂いだね、と言ったのを覚えている……。この瓶がそこにあることは知っていたけれど、ケイスケが遅い今日に限って目に留まったのは、どうしてだろう。キョウコは瓶を手に取ってみた。匂いよりもブランドよりも、やわらかな曲線に一目ぼれしてしまったこの瓶を、最後に手に取ったのは、一体いつだろう……。後ろで、子どもが争う声がする。「これはボクのよ」「ちがう。ちーちゃんがもってたのよ」「ぼくの!」「ちーちゃんの!」ああ、行かなくては。行って、とめなくては。今日はケイスケがいないのだから……。それなのに、この瓶のやさしさはどうだろう。何年かぶりで手に取った香水瓶が、うふふ、とやさしく微笑む。わたしを体につけたいでしょう、とささやく。キョウコは香水瓶を手に載せて、戸惑った。若い頃には香水をつけないでいることなど考えられなかったのに、今は、一吹きふりかけるだけが、ひどく気恥ずかしい。今更若い時の香水なんてやめておこうか。でも、つけたい。わあああああん!!!!後ろでついに、子どもの泣き声がする。ボトルをプッシュするだけの勇気が出せないまま、キョウコは香水瓶を棚に戻した。残念な気持ちの裏側で、ほっと息をつく自分がいるのを感じて、口の端で笑ってしまう。いつかこの子たちが一人立ちをしたら。いつかまた、一人で街を歩く時が来たら。迷わず、このトワレをふろう。その時、ケイスケはどんな反応を見せるだろう。キョウコの匂いだね、と言ってくれるだろうか。若い時のように、抱きしめてくれるだろうか。ぱたん、と音を立てて棚の扉を閉める。いつかどこかで、またこの香水をふろう。その日まで待っていてね、と小さく笑みをおくりながら。