余白の美・阿修羅像に会う。
もう先々週のことになるが、東京国立博物館へ「国宝・阿修羅展」を見に行ってきた。奈良・興福寺にある、あの有名な阿修羅像が東京にやってくる! ということで、大変な盛況で、かなりの混雑(3時間待ち・・?@@;)という噂だったのだが・・・あれあれ!?ゴールデンウィーク明けのせいか、大雨のせいか、朝早い出発だったせいか、いきなり空いていて (いや、博物館にしては混んでるほうだろうが)とにかく、3時間待ちどころか、スイスイス~~で、サッサと会場入り口まで行くことが出来てしまった。この日のお目当てはもちろん、天平彫刻の最高傑作、阿修羅像である。事前に、音声ガイド(黒木瞳のナレーションによるテープ)を借りる。人垣でなかなか説明ボードまで見れないし、仏像にも詳しくない私には、このガイドはかなり助かった。(また声も落ち着いていて艶っぽくてなかなか良いのよ)最初に展示してある鎮壇具(工芸品)は眺めるだけでササッと流し、そしていよいよお目当ての十大弟子→八部衆→そして、阿修羅像の展示してある部屋へ。阿修羅を含む八部衆は、お釈迦さま守る取り巻きであるらしい。もとはインドの神で、名前と容姿が変わっているのはそのせいなのか、とにかくユニーク。動物を被った造形などどれも面白く、天平時代のイマジネーションと造形力の醍醐味を味わえる。思ったより大きく、一体150センチくらい、けれども、脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり*後述)のため軽いそうだ。興福寺というのは、何度も戦火や火災に合っていて、その度にこの像が運び出されたそうで、そんな話を聞くと、こんなに揃った状態で現存していることがまさに奇跡。一部、壊れた像もあるが、破損した部分からこれらの作り方がわかってそれもまた興味深い。*中は空洞で、張りぼてに麻布を張って漆で塗り固め、 上から、木くずと漆を混ぜた粘土状のもので形成する技法。 →ゆえに見た目の重厚さに反して意外に軽いらしい、 ちなみに阿修羅像は約15キロとか。と、いよいよクライマックスの阿修羅像である。ここだけは、一室に一体だけ飾ってある。遠くからでもわかるよう、テーブル状の台の上に乗り、外堀のスペースが取ってあって、その周りを見物人がぐるっと一回りできるようになっていた。ガラス越しではなく直接展示なのが、すごい。本物の阿修羅像を、直に拝める(しかも360度全方向から)とあって、今まであまり見たことのない背中や側面の姿がわかるのだ。そのために、鑑賞する際は阿修羅像の周りを時計回りに歩く。そうやって本来ならば進みながら鑑賞しなければならないが、なかなか前に進まない。私はどちらかというと、美術品としての芸術的見地から見ていたが、神仏を拝みにくるような心境で来る人も多いのかも。しかし進まぬ。外堀の枠にしがみついて、一歩も動こうとしない御老人の気持ちもわからなくもないが、ここはひとつ、狭い社会でのルールを守っていただきたい、さっきからまったく阿修羅さまに近づけないのよ・・(T△T)見物人が動くより、阿修羅像を中華テーブルに乗せて回した方がよく見えるんじゃないの?なんてつぶやいていたら、後ろのおばさんに笑われてしまった。(--;) ←バチ当たりやっとなんとか動き始めた。あの有名な阿修羅像が、今 眼前に・・確かに、ありがたい気がする。じーっと何時間見ていても飽きない、周りにいい気が漂っているような。なんともいえない憂いを含んだ表情、やっぱり夏目雅子に似ている。(この場合、夏目雅子「が」似ている・・といわねばならないが。)横から見たら、こんななんだ・・!そして後ろはこう。前面側から。阿修羅像は他の仏像とまるきり違う。なんせ美形である。それも人気の秘密だろう、なんと言っても目に表情がある、開いた切れ長の目の下に膨らみ(涙道)があって、それがあるためにとても人間ぽくみえる。こんな仏像は他にはない。三面という奇抜な造形にもかかわらず、手の動きも相まって優雅で穏やかな印象だ。阿修羅像には鼻の穴がなく、余分な作業を省いたその簡潔な作りは、意外にも、完成されたようで、しかしまだ余白の部分を残しているような、見る側にも想像する余地を残しているような、少年でも少女でもない・・そんな不思議な魅力に満ちていた。追記:今回は久々の雅の会、企画&切符の手配までしてくれたyokomokoさんに感謝! すべてスムーズに行ったのも、yokomokoさんの「徳」のおかげかも・・(^^) ポストカードに般若心経を書いてもらうのが楽しみだナ~オマケ:八部衆のそれぞれの当て字のような名前を見ていたらついこんな絵を・・・ 「お釈迦様は俺らが守るけえの!」 ・・・広島弁。(なぜだ?)