フランス車の思い出
大学1年の頃、学部にあがる前の教養課程では、フランス語を第二外国語として履修していた。文法と会話の2本の講義が必修になっていて、会話クラスでは、妙齢のフランス人女性が講師だった。かれこれ、17~8年前のことである。---およそ、1クラス10人くらいだっただろうか。大きな字でフランス語と絵が書かれたテキスト。どうやら、フランスの幼稚園か小学校低学年の、国語の教科書を、流用したものだったらしい。ある時は、先生の娘さんの名前がサインされたフランス人学校のプリントが流用されたこともあった。先生に似たアリちゃんという娘さんを見た同級生は、「宮沢りえのように可憐だった」と報告した。---先生は、私達のクラスが好きではなかった。昼寝をしている学生が必ず一人二人はいたし、カンニングをするような輩も、後を絶たなかった。「フランスでは、昼寝は、先生への抗議の意味です。 つまらない授業では、わざと寝たりします。 初めて日本で昼寝を見た時、私はとても傷つきました。 でも、後で、そうではないということが分かりました。 日本人の学生は、本当に眠いのです。。」なんだか、そんなような口調で、説教された。---先生のマイカーは、シトロエンのCXか何かだった。日本車に乗りたくないので、わざわざ、フランスから持ってきたという噂だった。先生は、私達を含め、日本が好きでないように見えた。教養部の脇にとまっていた先生のシトロエンが、私が初めて意識したフランス車だった。その後、縁あってフランス車に乗るようになったが、先生に習ったフランス語は、ほとんど使いものにならない。ふと、フランス語で数字を数え始めてみても、いつも、11か12でカウントが止まってしまう。