鶴舞う形の・・・
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やがて次男から恵比寿にある会社に就職が決まったと連絡が来た。HPで見ると社会保険にも加入していたのでまずは安心した。
2016.03.17
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バイクの免許を取得して実家で充電した次男は再々々就職すべく東京のアパートへ帰って就職活動を再開した。
2016.03.16
次男と「日光東照宮」へ行ったのは平日だったが「日光ロマンチック街道」はクルマで渋滞していた。私達はクルマの横をすり抜ける事も無くコンビ二で一休みしてから帰路についた。
2016.03.15
「日光東照宮」の辺りはクルマで行くと有料駐車場があったがバイクで行くと進入禁止の看板も無くそこへバイクを止めておいていいのか分からなかったがいつものように「二荒山神社」の入り口脇へバイクを止めた。帰りは広い参道をバイクで遠慮しながら走って下った。
2016.03.14
「日光東照宮」へ行くのは30年ぶりくらいだったがいつものように「二荒山神社」の方へバイクを停めて歩いて行った。高い観覧料を払って入ってみたが「日光東照宮」は平成の大修理中だったので「三猿」と「眠り猫」を見て写真を撮って辺りをブラブラしただけで「日光東照宮」見学は終了にした。
2016.03.13
「明智平」から中禅寺湖まで走って湖畔を眺めていたら昼時になったのでランチにした。「蕎麦」よりも「肉系」を食べたかったので湖畔近くのレストランで「ポークステーキ」を食べた。ランチの後は「華厳の滝」を散策してから再び「いろは坂」を下って「東照宮」を観に行くことにした。
2016.03.12
いろは坂は一方通行二車線なので遅いクルマは邪魔になった。次男とは「明智平」で待ち合わせをする事にして別れて走ったが余りにも長く待たされたので「何かあったのでは?」と心配になり別行動にした事を少し後悔した。やがて上ってきた次男は「一度ガードレールに突っ込みそうになった」と嘆いていた。
2016.03.11
ツーリングは桐生からR122を通って日光へ行く事にした。行きは草木ダムで一休みしてから明智平まで一気に上った。
2016.03.10
桐生のKTさんのバイクは赤い「ホンダVTR250」だった。自宅の車庫に鍵を付けて用意しておいてくれたので近くのGSで燃料を満タンにして出発したがカタナから乗り換えると軽くて取り回しがとても楽だった。
2016.03.09
会社のKTさんは運送会社から出向で来ていた運転手さんで桐生に住んでいたので次男とタンデムで行ってバイクを借りて桐生から2台でツーリングに行く事にした。
2016.03.08
折角、免許を取って、バイクも買ったので次男と一緒にツーリングに行きたかったがタンデムではつまらないので会社のKTさんにバイクを借りて行く事にした。
2016.03.07
現車を見る前に「ワインレッドのカタナ」と「ブラックのFZR」では次男がどちらを選ぶかは予想できていた。色では「ワインレッド」が大好きな次男は迷わず価格の高い方の「カタナ」を選んだ。
2016.03.06
次男が中型自動二輪の免許を取った時に買うバイクは中古の250ccと決めていた。ネットで見つけたら高崎に「スズキのカタナ」と「ヤマハのFZR」が在ったので連絡しておいて次男と見に行った。
2016.03.05
一旦帰省して来た次男だったが群馬には次男の職種の求人は全く無かった。だが折角、時間があるのだからと「中型自動二輪」の免許を取る事にした。
2016.03.04
給与の支払いが数ヶ月滞るようになって次男を説得して会社を辞めさせた。今後の事を話し合う為に一旦帰省させる事にした。
2016.03.03
親会社から役員が出向してきて梃入れをしていたが2年ほどすると給与の支払いが段々滞るようになった。
2016.03.02
やがて次男の再就職した「茶髪社長の会社」へ親会社から役員が出向してきた。
2016.03.01
今度のアパートは以前のアパートよりも平井駅からは遠くなったが保育園、商店街、お寺、町工場等があって一つの街という感じだった。一方通行が多く、少し歩いたら某化粧品会社の工場もあった。「〇EIYU」以外のスーパーも発見した。
2016.02.29
次男の今度のアパートの近くにも小学校や銭湯があったが商店街があったのが目新しかった。アパートの直ぐ裏に子供相手の雑貨屋さんがあって休みの日は子供達で賑わっていた。如何にも下町という風情だった。
2016.02.28
引越しの時の「電気・ガス・水道」の手続きはインターネットで全て出来たので非常に便利だったが連絡もしないのに何故かNHKの集金人も付いて来た。
2016.02.27
次男の今度のアパートには「インターネット光」が既に通っていて契約だけすれば直ぐに使う事が出来たが今まで使っていた「〇ahoo! BB」の解約手続きが必要になった。
2016.02.26
次男の引越しは7月の暑い日だったが汗びっしょりで引越しの荷物を運んで部屋に入って真っ先に、エアコンを点けようと思ったらエアコンが見当たらなかった。妻と次男で見た時は気が付かなかったらしいがなんとその部屋にはエアコンが付いていなかった。「今時、エアコンの付いてないアパートもあるんだね」と3人で大笑いした。引越しの途中で、電気屋さんへ行ってエアコンを注文して来た。
2016.02.25
その頃はクルマをラルゴからティーダに代替してしまったので平井から平井への引越しと言っても大きな物や重い物は運べないだろうと思って業者も頼んでおいた。しかし、ティーダで何往復もして引越しをしたら殆どの物を運んでしまい結局、時間に遅れて来た引越し業者に運んでもらったのはTV、冷蔵庫、洗濯機、ベッド等の大物数個だけになってしまった。
2016.02.24
次男の次のアパートも妻と次男の2人に任せた。今までのアパートが平井駅の南東だったので今回は北東方面の不動産屋さんで見つけて来た。
2016.02.23
次男の次のアパートは何処にしようかと考えた時に地理的にはやはり平井が一番いいと言う事になって平井駅周辺で探す事になった。
2016.02.22
平井のアパートの2回目の更新の時にどうせ更新料で家賃を余計に払わなくてはならないのだから他のアパートも検討してみようと言う事になった。
2016.02.21
「デジタルテクノロジーの会社」を辞めてしまった次男は取り敢えず以前の「茶髪社長の会社」へ出戻りした。
2016.02.20
次男が再就職した「デジタルテクノロジーの会社」は浅草にあり「バンダイ」の仕事などをしていた。次男は「映画関係の仕事も始まる」との期待を持たされていたらしいが何かが合わなかったらしく3ヶ月でこの会社を辞めてしまった。
2016.02.19
ハローワークから勧められて次男が再就職した会社は「CG制作」や「デジタル造形」がメインの会社で社会保険も加入しているまともな企業だった。何より入社前に健康診断を受けたのが印象的だった。
2016.02.18
一年間勤めて会社を辞めた次男だったが会社が雇用保険に加入していなかったので失業給付は一切受けられなかった。区のハローワークへ通って次の就職先を探した。
2016.02.17
深夜残業や泊り込みで仕事をしても手当てが付かず年金保険料や健康保険料も払えないような薄給で茶髪の社長は会社の経費を使い放題。次男は社会人一年生だけでその会社を卒業した。
2016.02.16
東京にはゲーム制作会社が沢山あったが中小の殆どは大手の下請け、孫受けの仕事をしていて社員は年俸制や裁量労働制という名目で深夜残業や徹夜をしても手当てが支給されなかった。限りなくブラックに近いグレー企業だった。
2016.02.15
「SD ガンダム三国伝」のエンドロールに何度か名前が載ったので我家では「Google」で名前を検索してみると次男だけがヒットして出てくるようになった。
2016.02.14
次男の夢の一つに映画のCGを作ってエンドロールに自分の名前を載せるというのがあったが「SD ガンダム三国伝」と言うアニメのエンドロールに名前が何度か載ったのがささやかな喜びになった。
2016.02.13
次男の就職先の会社では社会保険に加入していなかったので「国民健康保険」と「国民年金」に自腹で加入しなければ失業しても怪我をしても「失業保険」も「労災保険」も使えないと言う事だった。
2016.02.12
次男の就職先の会社の採用情報をHPで見たら完全週休二日制で年俸制になっていたが社会保険に加入していなかったのが気になった。後で分かった事だが年俸制や裁量労働制と言うのは残業が多い職場では会社側に非常に都合の良い制度だった。
2016.02.11
次男の就職先の会社をHPで見たら新宿にあるゲーム制作会社で社員は30名余りだったが会社代表の写真も載っていて見ると茶髪の若者がチャラチャラした感じでポーズを取っていた。
2016.02.10
卒業間近になって次男から就職が決まったとの連絡があった。訊くところによると専門学校に企業から派遣されていた講師が自分の会社に就職するように勧めてくれて決めたと言う事だったので安心したと共に少し感心した。
2016.02.09
次男の就職先は2年目の夏休みが終っても決まらなかったが親の心配は他所に本人は卒業制作に傾注していて就職活動をしているようには見えなかった。
2016.02.08
短大もそうだが専門学校も2年間なので2年目になると早々に就職の事を考えなければならなかったが次男の場合は1人暮らしをしていたせいか任せっきりで少し呑気に構えてしまった。
2016.02.07
次男の専門学校からも「東京ゲームショウ」へ出展すると言うので妻と次男のアパートに一泊しながら見に行った事があった。電車で「幕張メッセ」まで次男に案内してもらって行くと私が知っている物流展の「幕張メッセ」とは全く違って会場はコスプレやオタクで溢れかえっていた。人混みを掻き分けて次男の専門学校のブースまで行くと次男の作品の絵が2枚も正面に飾られていた。その頃は駆け出しだった「ハリセンボン」がステージで漫才を披露していたが私達は人混みで気分が悪くなってしまって早々に退散した。
2016.02.06
平井駅の西友や100均、アパートの近くのコンビ二には大分お世話になったが想い出に残っているのは焼肉食べ放題の店だ。テーブルに置いてあるタッチパネルで注文すると料理を運んできてくれる。しかし、数年後には撤退してしまったのが残念だった。
2016.02.05
平井のアパートへは私も何度かクルマで行って泊まった事があったが6畳の1Kでも4人くらいまでは寝ることができた。その頃、私は早起きだったので1人でプチ散歩を楽しんだが小さな公園を過ぎて荒川河川敷まで歩いて行くとジョギングやサイクリングをしたり広場ではスポーツをしている人達が居た。地図でみると荒川に沿って十数キロ行けばディズニーランドまで行けそうだった。
2016.02.04
「母が救急車で運ばれました」ある日、次男から真夜中にメールが来ていた事に朝起きてから気が付いた。飲んで次男のアパートに泊まった妻が夜中に気分が悪くなり救急車で病院へ運び込まれ朝まで点滴をしていたとの事だったが付き添いで行った次男にとってはとんだ災難となった事件だった。
2016.02.03
その頃、妻の勤務先は「浜松町」だったので毎日、電車で通勤していたが会議や飲んで遅くなった時は次男のアパートに泊まる事もあった。「次男が東京に居たから毎日頑張って東京まで行く事が出来た」と今でも言っている。
2016.02.02
次男のアパートでもインターネットを使いたかったので電話回線が要らない契約で「〇ahoo! BB」のADSLにしたが当時では、それが最適だった。
2016.02.01
平井のアパートは1階の6畳の1Kで通路や入り口周辺には大家さんの植木が沢山植えられていた。 駅から近い住宅街で学校や公園があり何よりも荒川河川敷へ散歩に行くのが楽しかった。
2016.01.31
その頃はインターネットで地理を前もって調べておけたので平井のアパートへは初めてでもスムーズに行けた。冷蔵庫と洗濯機だけはちょっと大変だったけど新小岩のアパートから平井のアパートまでの引越しはラルゴで2往復もすると完了した。引越しを終えると近くの有料駐車場にクルマを停めて足りないものを買足しに駅周辺を散策した。
2016.01.30
その頃は妻が仕事で毎日、東京の「浜松町」へ通っていたので会社の帰りに次男のアパートに一泊して次男と平井駅前の不動産屋さんへ行って二人だけで次のアパートを決めた。
2016.01.29
Y君が出てしまったアパートは1人で住むには広すぎて家賃も高すぎたので引っ越すことにした。新小岩の駅前商店街はタバコの煙で通るといつも気分が悪くなると次男が言うので少しだけ都心に近い「平井」でアパートを探す事にした。
2016.01.28