鶴舞う形の・・・
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例えば私が朝、掃除をしているとOA所長「東郷の掃除はゴミを移動してるだけじゃね~か」私の心の声(掃除はゴミ箱へのゴミの移動でしょ)人の一挙手一投足をじっと監視していてまるで小姑の様に文句を言ってくるようになった。極めつけは朝礼でOA所長「昨日俺に無断で退社した奴が居る。東郷!会社へ出て来なくていいから帰れ」と名指しで因縁をつけられた。その場で所長に媚びて謝罪の一言でも言えば機嫌が良くなるのだろうが私の忍耐も限界に来ていたので会社を辞める決心で家に帰ってしまった。
2013.07.23
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アシスタントのSAさんと私の関係が変化したのをいち早く察知したのはOA所長だった。その頃からOA所長の私への嫌がらせが始まった。
2013.07.22
そんなアシスタントのSAさんをOA所長は気に入ったらしく会社の帰りに打ち合わせと称して食事に誘ったりしていた。今だったらセクハラで訴える事も出来ただろうが当時はハラスメントなんて言葉も無かった。
2013.07.10
営業課のアシスタントのSAさんは何かと気の利く女性だった。電話の後は、忘れずに報告をしたり展示会の日は休みにも関わらず陣中見舞いに顔を出したり極めつけはトイレットペーパーを三角折りにしていたのには感心した。
2013.07.09
新入社員として入社して来たKSさんは伊女の出身だったがサービス課のアシスタントに配属された。普通高校卒だったので仕事に慣れるまで大変そうだった。
2013.07.07
新入社員として入社して来たSAさんは伊商の出身だったが春休みから研修生として出社して営業課の仕事を勉強していた。第一印象は頬っぺが赤く如何にも田舎の女子高生と言う感じだった。
2013.07.06
私が営業所に異動になった年にアシスタントの女の子が二人入社して来てサービスマンのYF君がグループ会社へ異動して行った。
2013.07.03
NRさんは退職する際に新車を買ったがそれは自分が本当に乗りたかった他社の赤いスターレットだった。
2013.04.08
NRさんは徐々に人間関係で不満を抱くようになり一年足らずで退職してしまった。後にOY店長が何度も「周りが嫌な人ばかりなので自分が辞めるのが一番早いと気づいて辞めていった娘がいた」とNRさんの事を話していた。その頃、私も給与面で辞めたいと思った事が何度もあった。
2013.04.07
IYさんの自宅から県庁までは私の通勤コースと重なっていたので何度か一緒に通勤した事があったがIYさんが自動車通勤になってからはそれも無くなった。
2013.03.29
大学を卒業した時にスヌーピーと別れて以来、私の心にはポッカリと穴が開いて精神的にも腑抜け状態だったがそんな時、MS君の彼女の友達を紹介された。IYさんと言う県庁に勤めている娘だった。
2013.03.28
その頃は何台かのクルマで連んでドライブする事も多かったし仲間と連絡を取り合うために「モービルハム」が欲しかった。HH君YS君OK君HS君と私の5人で仕事帰りに「電話級アマチュア無線技士」の講習を受けに行った。
2013.03.24
サービスマンのHS君も私と同じ総合センター内で働いていた。HS君が「フェアレディZ」を買った時にそれまで乗っていたバイクを茨城の実家に持って行くのを手伝った事があった。確か茨城の岩瀬だった。
2013.03.21
サービス希望で入社した同期の社員の中でMT君とIH君が辞めてしまったので残ったのはHS君だけになってしまった。
2013.03.20
同期の社員で一番に辞めたのは彼女を追って県外に転職して行ったNH君地元の同業種に転職したMT君寿退社のNMさんに次いでIH君は4人目だった。
2013.03.19
NMさんが寿退社して間も無くIH君も転職して行った。NMさんが辞めてしまったのが原因では無かったと思うが自宅の近くの大手企業へ転職してしまった。
2013.03.18
残念ながらIH君とNMさんの恋愛は成就することはなくNMさんは一年余りで寿退職してしまった。噂によると県外に嫁いで行ったようだった。
2013.03.17
IH君の610でスキーに行った事があった。FRの610は雪道に弱く、渋滞の斜め道では横にズリ落ちてしまうので大雪の中クルマを降りて横から押した。また低速運転では充電量が不足してエンジン回転数が落ちた。
2013.03.14
IH君は学生の時からアーチェリーをやっていて私もアーチェリーに誘われた。IH君から中古のアーチェリーセットを貰ったが一人でやる機会は無かった。
2013.03.13
「はちまる会」のメンバーの中でYS君はANさんに恋愛感情を抱いているようだった。
2013.03.10
同期入社の社員は研修が長かったせいか配属されてバラバラになってからもYS君を会長として「はちまる会」と言う会を作って暇を見つけてはドライブを楽しんだ。
2013.03.08
当時、営業所にいた業務担当者は1・・・「TMさん」2・・・「U○さん」3・・・「MSさん」4・・・「IMさん」5・・・「IIさん」6・・・「KSさん」7・・・「T○さん」8・・・「○○さん」9・・・「HMさん」10・・「IMさん」11・・「○○さん」12・・「AYさん」13・・「SKさん」2拠点の業務担当者の名前が思い出せないが今現在では在籍している人は殆ど居ない。
2013.02.04
その頃「同時性の矛盾」という言葉を知った。査定員は新車販売時の下取りのクルマを査定する訳だが査定を安く出せば新車は売りにくくなるが下取りしたクルマは中古車販売で利益が出る。逆に査定を高く出すと新車は売りやすいが中古車販売で利益が出ない。如何にこの矛盾のバランスを取るかが査定の難しさだった。
2013.02.02
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査定の仕方はIS班長からも指導を受けたがIS班長からは外見のキズよりもエンジンやミッション関係の機能部位をよく見ろと言われた。査定時にエンジンも掛けないのは以ての外だった。私が基準価格の設定で悩んでいた時の「ちょっと間違ったくらいじゃ会社は潰れないから自信を持ってやれ」と言うIS班長の言葉は忘れられない。
2013.01.31
営業所の仕事は下取り車の査定と中古車の管理がメインだったが展示会の時の査定は非常に忙しかったので展示会の時は営業所に手伝いに行く事もあった。
2013.01.30
当時、会社の営業所には「査定員」が一人ずつ居て「業務担当者」と呼ばれていた。月に一度「業務担当者会議」と言うのが開かれていたが中古車部長のIKさんが「23人衆」などと茶化していた。
2013.01.29
「査定士」の試験には県内の様々なディーラーから受験に来ていた。学科試験中に査定協会のMさんが見回りをしながら時折人差し指で机をトントンと叩いて間違いを指摘して居た。
2013.01.28
「査定士」の試験を受けに行った時の査定協会のMさんの「査定士の資格は講習時間が足りない為に残念ながら国家資格に認定されていません」と言う言葉は記憶に残った。
2013.01.27
査定をする為に「査定士」の資格を取っておこうという事になり上司のIS班長や数人の業務担当者と「査定士」の資格を受けに行ったが受験資格の中に「業務に一年以上携わっている事」というのがあり本社で証明書を貰って来たが私は入社してから一年経って無かった。確信犯のIS班長が笑っていた。
2013.01.26
中古車業務課の仕事の中には事務の他に査定業務があった。査定の方は営業所から異動して来たTさんが専門でやっていたがある時、上司のIS班長から「T君はもうじき辞めるので東郷君も査定を覚えておけ」と言われて時間が許す限りTさんと同行して査定を覚えた。
2013.01.25
業務課の仕事の中で経理伝票を書く事が多かったがある時、記入ミスが見つかり本社の経理課のSさんから「上司の確認印を貰った方がいい」と指摘された事があった。引き継ぎをしたAYさんからも上司のOK課長からもそう言う基本的な事を教えて貰った事が無かった。
2013.01.24
ある日、IS班長たちとデータベースへの入力作業をしていた時に「モニターの照明を真っ暗にして入力出来るか競争しよう」とIS班長が言い出した。IS班長はお茶目なところがある人だった。
2013.01.23
その頃の私の仕事は営業所から送られてくる中古車の査定書の管理と入庫業務だったが中古車業務のパソコン管理が始まったばかりでデータベースへの入力作業が最初の仕事だった。
2013.01.22
春の人事異動で来た査定員のTさんはまだ二十代だったが査定員としてはベテランで私も時々同行して査定を教えて貰った。
2013.01.21
入社して間も無く春の人事異動があり中古車業務課のAYさんと女性のHAさんは異動して居なくなってしまった。私はAYさんの仕事を引き継いだ。そして営業所の方から査定員が一人異動して来た。
2013.01.20
新車業務課には4人の女性が居たが二人のSさんにTTさんを加えた3人とTKさんの奥さんとは対立しているように見えた。
2013.01.19
新車業務課には二人のSさんが居て一人をA子さん、もう一人をB子さんと呼んでいたがB子さんの方が先に結婚した。
2013.01.18
新車業務課の男性で登録業務を専門にしていたNYさんは「アンドレ・ザ・ジャイアント」をコンパクトにした感じの人で自分の事を「ポク」と呼ぶのが似つかわしく無かった。
2013.01.17
新車業務課の男性でやはりY主任と同じように威勢が良かったTKさんは同じ業務課の女性と婚約中だった。数ヵ月後に挙げた結婚式はまるで会社の宴会の様だったそうだ。
2013.01.16
新車業務課の男性でY主任と同じように威勢が良かったHHさんは新婚さんだったが相手は中古車課のHAさんだった。
2013.01.15
新車業務課の男性は全員が白いツナギを着ていて全員が威勢が良く口も達者だったが中でも50過ぎていたであろうYE主任は特出していていつも威張り散らしていた。
2013.01.14
私が配属された中古車課と同じフロアーに新車の登録や架装する業務課がありました。男性が8人位、女性が5人位働いていました。
2013.01.13
回送班のOYさん、Hさん、NYさんの三人は歳も近く仕事も同じ様な事をしていたがOYさんHさんコンビからNYさんが孤立している様だった。あろ時、NYさんの自家用車のタイヤがパンクさせられていた事があり犯人を突き止めたらOYさんとHさんだったという事があった。今考えると「社内イジメ」だったのか?
2013.01.12
KKさんはダイエットを兼ねて子供と「少年ラグビースクール」へ通っていた。同じラグビースクールに私の先輩のAYさんがいたらしく私がAYさんの後輩だと分かると私への接し方が変わってきた。
2013.01.11
KKさんはツナギがパンパンになる程メタボ体型だったがダイエットで食事制限していた。数口で食べ終わるお弁当を見たのは初めてだった。
2013.01.10
回送班のKKさんは「大根踊りの大学」出身の人だった。始業時間ギリギリに出勤する私に「最近の新人はいいよな~」とか「新人が掃除しなくちゃな~」とか嫌味を言われた。私は朝が苦手だった。
2013.01.09
HYさんの仕事は中古車の在庫カードを作り在庫拠点ごとに整理して中古車の在庫管理をする事だった。クルマの事はとても詳しかった。
2013.01.08
回送班のHYさんはメタボの元暴走族という感じだったがサングラス風のメガネを掛けた風貌とは反して意外と優しい人だった。「ヒール&トウとインベタ」の走りが得意だった。
2013.01.07
中古車業務課のAYさんと女性のHAさんは一緒に事務をしていたがAYさんは独身HAさんは隣の新車業務課の社員の奥さんだった。AYさんがミスをする度に「黒星」とHAさんに突っ込まれていた。
2013.01.06
中古車業務課のSK主任は不思議な人だった。やはりいつも白いツナギを着ていたが情報管理課と仕事の連携をしたりトレールバイクで通勤や移動していた。
2013.01.05