鶴舞う形の・・・
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3ヶ月余りで終ってしまったY君との同居だったがこれから異性と交際して同棲する可能性も否めないので次男の為にはいい経験になったと思った。
2016.01.24
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青梅の叔父さんの所へ引っ越したY君は半年もしない内に学校を辞めて叔父さんの所からも出て音信が途絶えてしまった。最初から「秋葉原」に憧れていただけの「東京の専門学校」への進学だったので「秋葉原」で生活の基盤を見つけたのかも知れなかった。
2016.01.23
Y君に同居解消を申し出るとY君の家族の行動は驚くほど速く次の休日には荷物をまとめてアパートを出てしまった。元々、親は青梅の叔父さんの所で下宿させたかったらしくY君が次男と東京で下宿したがったので不承不承同居させていたらしかった。
2016.01.22
2ヶ月もするとY君はまた食器洗いも片付けもしないで食器やゴミを放置するようになったのでY君との同居は解消することにした。
2016.01.21
東京へ戻った次男はY君にハッキリと自分の気持ちを伝えてY君も生活を改めると誓ったが結局2ヶ月と続かなかった。「三つ子の魂百まで」人間の性格は容易く変わるものでは無かった。
2016.01.20
ゴールデンウィークに帰省した次男の話では同居しているY君が後片付けを全くせず共同で使っている台所とダイニングにいつもY君の食器やゴミが散乱していて次男が毎日片付けなければならないとの事だった。Y君には何度も注意したけれど直してくれないと言うので最後にもう一度だけ「生活態度が直せないなら同居は解消する」と宣告するように勧めた。
2016.01.19
東京へ引っ越して間もなく、ゴールデンウィーク前に突然「もう嫌になった、連休に帰る」と次男からメールが来た。詳しい事は帰ってから話すと言う事だった。
2016.01.18
次男が新小岩のアパートへ引っ越す時は長男も一緒に行って手伝ってくれた。Y君の方はお父さんが会社で借りたルートバンに乗ってお姉さんと家族4人で来たがお父さんに会ったのはそれが最初で最後になった。
2016.01.17
次男のアパートは専門学校から遠くなく川や自然が残っていて群馬からも行きやすい所と言う事を考慮して「新小岩」にした。3軒ほど見て結局選んだ物件は2階の2DKで駅からも近く、二人で住むには理想的だった。
2016.01.16
コメント(2)
次男の東京のアパート探しはY君のお母さんも同行して5人でラルゴで行った。予めインターネットで不動産屋さんとアポを取っておいたので現物を見て子供達に選ばせるだけだった。
2016.01.15
次男の専門学校は東京だったのでアパート代も痛い出費だったが友人のY君とルームシェアする事にしたので大分助かったし授業料は郵便局の学資保険で半分くらい賄えた。長男の時もそうだったが「妻の提案で掛けていた郵便局の学資保険」には随分と助けられた。
2016.01.14
次男の専門学校も入試はOAだったが成績が良いと学費の免除があった。残念ながら次男には免除は無かったが友人のY君は10万円くらいの免除があったらしい。少し羨ましかったのを記憶している。
2016.01.13
次男が高校3年になって進路を相談するとやはり勉強は好きではないので大学へは行かないで専門学校へ行きたいと言うことだった。長男と同じ専門学校では物足りないと言って結局、友人のY君と一緒に東京の「〇京デザイナー学院」へ行く事になった。
2016.01.12
高校から空手部に入った次男だったが小学校からカルチャークラブへ通っていたせいか「空手の段位」を取得するのは早かった。結局、高校三年間で「参段」を取得することが出来た。
2015.12.01
空手の試合で一番盛り上がるのは「団体組手」だった。試合をする選手の肩にチームの4人が手を置いて送り出す姿は微笑ましいものだった。忘れられないのは「〇西との試合」で、副将まで同点で来て大将のA君が接戦の末勝ち、あの「〇西」に辛勝した試合だった。
2015.11.30
「組手」の試合は「形」と「残心」が出来ていないとポイントにならなかったが同時相打ちの場合はどうしても「有力校」の選手の方が優遇されているように見えた。
2015.11.29
「団体形」の試合は結局「個人形」の集合体なので「個人」が上手くないと勝つことは出来なかった。「団体形」を見ているとシンクロナイズドスイミングを思い出した。
2015.11.28
「個人形」の試合は3年間あまり芳しくなかったが3年生最後の大会では時間を掛けて猛練習した。しかし、本番では傍目から見ても分かるくらいガチガチに緊張して練習の成果を発揮出来ずに残念な結果に終った。
2015.11.27
高校1年の時に佐野市で行われた「闘技空手道拳誠会館格闘王座決定戦」に出場した。高校1年男子の部は3名によるリーグ戦になっていたが試合が始まってみると次男の他には1人しか居なくて一騎打ちになってしまった。試合のほうは相手が弱すぎたせいか次男の瞬殺と言う感じで呆気なくケリが付いた。やはり「高校空手」はスピードと正確さが段違いだった。
2015.11.26
空手部の部員は自宅が空手道場をやっているA君の他は高校から空手を始めた生徒が殆どだった。人数も団体戦に出場するのがやっとという状況だった。
2015.11.25
試合の審判は顧問の先生達が手分けしてやっていたがどう観ても「判断に迷った時」は「名門校の選手」の方に有利に判定しているように見えたし審判の指導をしていたのは名門校の顧問の先生だった。
2015.11.24
県内では当時、「〇工」と「〇西」の両校が強豪校として有名だった。顧問の先生が県連の役員をしていたり空手部の父母会が毎回応援に来てキャンプを張っていた。
2015.11.15
組手の試合では「寸止め」では無くて微かに当たらないとポイントにならないようだった。面をしていても脳震盪や歯を折る生徒が何人かいて会場には看護師が待機していた。
2015.11.14
空手の試合は「形の個人戦・団体戦」「組手の個人戦・団体戦」があると言う事を知った。しかし、「形」は兎も角、「組手」の方は勝敗が判りづらいと感じた。
2015.11.13
次男が空手部に入部して初めての大会を見に行った。武道館で次男の高校の生徒が試合をしているのを見つけて次男を探して見たらジャージ姿で採点係をやっていた。
2015.11.12
次男も空手部に入部してから分かった事だが「空手部の顧問の先生」は次男が小学生の時に空手を教えて貰った師範の息子さんだった。私達も不思議な「縁」を感じた。
2015.11.11
クラスで「学級委員長」を選ぶ時に中学の時に経験のある生徒の中から選び出したようだったがここでも次男が選ばれて次男の渾名は「委員長」になった。
2015.11.10
あとで聞いた話だが入学式では次男が新入生代表挨拶をしたらしかった。1年1組の中から白羽の矢が立って担任の先生から話す内容も教示されたらしい。
2015.11.09
次男の入学説明会は妻が行けなかったので私1人で行った。選択科目の説明で「将来、医療関係に進むなら生物学は必修です」という言葉が記憶に残った。
2015.11.08
次男の高校入試は前期選抜で合格となりあっさり終ってしまった。後で分かったことだが「ニヤリと笑った校長先生」は空手部の顧問をしていた。
2015.11.07
前期選抜の試験が終った夜に次男に様子を訊いたら面接がメインで待ち時間は持参した作文を清書していただけらしかった。肝心の面接の様子を訊いたら「空手部の話をしたら校長先生がニヤリと笑った気がした」と言う事だった。
2015.11.06
次男が高校に入学したら何をやりたいかと考えたら「空手部」に入って空手をやりたいという結論になった。前期選抜の作文は「次男がジャッキーチェンに憧れて小学校から空手を始めた事や高校の空手部に入って空手部を強くしたい」というような内容にした。
2015.11.05
次男の前期選抜の作文のテーマは「何故その学校を志望したか?」というような内容だったが親子で話し合って知恵を出し合った。その頃には私も創作活動が好きになっていた。「起承転結」
2015.11.04
次男の高校受験も前期選抜を受けた。選抜試験の中に試験日までに作文を書いて持参するという項目があった。
2015.11.03
次男の進学希望は何故か商業高校だった。多分、大学進学は考えていなかったので実業高校を選んだのだろう。
2015.11.02
次男の中学校でのバスケット部の思い出はあまり楽しいものでは無かったようだ。中学を卒業してから次男がバスケットをする事は無かった。
2015.09.21
中学のバスケ部の顧問は「テニス」で有名な先生らしかったが試合の時の指導を観ていると、ただ大きな声で怒鳴っているだけに見えた。「戦法」や「作戦」の指導は殆ど見られなかった。
2015.09.20
中学のバスケ部のメンバーは「北小」と「南小」のミニバス経験者で占められていたがある理由で「南小」のメンバーの方がメインになっていた。
2015.09.19
学校から帰って来た次男が珍しく正拳突きをしていることがあった。理由を訊くと部活で理不尽な暴力が横行していて先生も学校も感知していないようだった。次男にきちんと学校に報告するようにさせたがその後、数年間は風紀の荒れた中学校になってしまった。
2015.09.18
中学校には「空手部」がなかったので次男は「バスケット部」に入ったが仲の良かったTG君とTD君は「ソフト部」だった。バスケットの顧問は何故かバスケットの経験のない先生だった。
2015.09.17
次男が6年生の時の運動会で何故か「赤城団」の団長になりその年は「赤城団」が優勝したので次男の最後の小学校運動会はとても思い出深いものとなった。
2015.09.13
次男のミニバスの試合は何試合も観戦したが一番忘れられない試合は「南小」との試合で延長戦の末、辛勝した試合だった。
2015.09.04
ミニバスの父母会には父親が警察官をやっている人が二人いたが奇しくも二人とも埼玉県警だった。あとで知ったことだが群馬県警より埼玉県警のほうが入りやすかったんだそうだ。
2015.09.03
ミニバスの父母会でカラオケ店で慰労会をやった時に次男の同級生の母親Tさんが私の隣に座った。旦那さん共々面白い人だと思っていたが奥さんが「私は癌なんです」と冗談のように言っていた。そして数年後に亡くなってしまった。
2015.09.02
普段の子供達の送迎は母親が行っている家庭が殆どだったが日曜日の試合になると父親達も出てくるようになった。バスケットの経験者の父親は言うに及ばず経験の無い父親も試合を観戦するとミニバスに病みつきになった。
2015.09.01
次男が6年生になった頃は同級生や下級生が入部してきた。背が高い子や運動神経のいい子も入部してきたが如何せん、6年生から始めたバスケットは遅すぎて勿体無かった。
2015.08.31
ミニバスの試合を観るようになってからバスケットボールの事を色々覚えたがポジションでは会長の次男とうちの次男が同じガードでTGさんの長男はセンターだった。
2015.08.30
最初は長男が「ミニバス」クラブへ入部したがやがて辞めてしまったので次男が小学四年生の時にダイエットの為に入部させた。バスケットをやるようになって次男は見る見るスリムになったが本人に言わせると毎日死ぬ思いだったそうだ。
2015.08.19