内房線の旅
旅ってもんじゃないけど、先日の千倉ロードレース。今年、旅行らしい旅行をしていないので、一番遠くまで行ったのがこれではないかな? 内房線に乗ったのも、本当に久しぶり。千葉を過ぎると、徐々に田園地帯へと車窓は変わっていく。でも、姉ヶ崎、五井あたりは、まだ臨海工業地帯。この辺になると目立つのは、夾竹桃の木。夾竹桃は、公害に強いという話を聞いたことがある。また、製鉄所などのまわりには、常緑広葉樹が生い茂っている。これは、タブとかカシ類なのだろうか。これも、古くから、このあたりの極相林となるような樹種であろう。これも、植えられてからだいぶ長い時間がたったのだろう。見事な緑地帯となっている。 また、ちょうどお彼岸とあって、田んぼの畦には真っ赤な彼岸花が咲き誇っている。子供のころは、墓場に生えている花といったイメージがあったので、なんとなく好きではなかったが、緑の中でよく映えていた。 やがて、海が見えてくる。朝のうちはよく晴れていたので、対岸の横須賀あたりの火力発電所(たぶん)や東京湾を行き来する船がよく見えてくる。先日、幕末のころに書かれた本を読んだので、黒船などもここから良く見えたのだろうななどと勝手に想像する(今の船の大きさから考えると、大して大きくないのだろうが、当時としては、群を抜いて大きかったのだろうから)。 保田の駅を過ぎる。ワタシが小学校に上がる前から、3、4年生ぐらいまでだったか。毎年、この保田かそのもう少し先の富浦の海水浴場に毎年来ていたのを思い出す。民宿などに3泊4日ぐらいはしていた。まだ民宿の井戸でスイカを冷やしたり、アオスジアゲハが飛んでいたのが、印象に残る光景だった(クスノキ科の植物を食草とするアオスジアゲハは、南房総のあたりでないと、そんなに見られなかった)。最初のころは、まだ蒸気機関車が走っていたはず。泳ぎを覚えたのも、このあたりの海。ぼけてしまった父は、当時のことを覚えているだろうか。今度聞いてみるか。 そんな思いにふけっていると、乗換駅の館山に到着。ロードレース参加者がどっと降りる。地元の高校生が「なんで館山にこんなに人がいるんだ」とあきれた調子で話していた。 こんな調子の小旅行。帰りは疲れていたのか、寝ていた時間の方が多かった。 それから二駅で千倉。ロードレースご一行様を歓迎する横断幕でもあるのかと思ったら、目立つものはなにもなし。東京、千葉方面から鉄道で来るには、この列車しかないはずなのに、改札もいつもの体制なのか、乗り越し運賃の精算をする人で大渋滞。都市部ではスイカで簡単に精算できると思っている客も多かったようだが、あいにくそんな対応もしてくれず。年に一回のロードレースで込むことは分かっているのだから、もうすこしJRも対応の仕方があるのではと思ってしまった。