百人が
百人が無言の膳や夏の堂 好幹 もう半世紀前になるか二泊三日で夏休みに坐禅に行っていた。たぶん老若男女二百人は居ただろう。お寺全部を坐禅堂にし本堂で雑魚寝をするのである。五時ごろに起こされて掃除・食事・お経・仏教に関する勉強・坐禅が続くのである。もちろんテレビはないし新聞も無い。携帯電話も当時は無かった。食事は精進料理である。若いから肉が食べたかった。三日目の昼に肉だと思って飛びついたらこんにゃくが肉のように煮付けてあった一番困ったのは食事の時間である。食事中と座禅中トイレのときは私語が禁止である。多くの人が居てもシーンと静まり返った食事は不気味である。それよりも困ったのはきっかり一時間の食事中の正座である。足の痺れはどうしょうも無く苦痛であった。これも修行である。今思えばいい経験である。