介護
今年に入ってすぐ、母が肋骨を骨折した。人生100年を真っ直ぐに進む母は後期高齢者。頭ではわかっていたけれど記憶力も理性もわたし等よりよほどまともな立派なヒト。その、母が。少々離れて暮らす私は日常はほったらかし。病院通いの両親は近くに住む姉にまかせっきり。たまに顔を見に行く程度の親不孝物。共に年には見えない元気な両親に甘えきり油断しきってた。それでもだいぶ衰えが顕著になり始めた両親をバリアフリーの明るい所謂、高齢者住宅に引っ越す計画のまさに真っ只中の出来事。歩くことはもちろん、立つことも座ることもできなくなった母は寝たきり状態。介護申請をして、認定待ちのためいろいろ動けない。姉が奔走し、ケアマネさんの強力な協力のもとにヘルパーさんが日に3回。それでも、足りない。要介護2の父も母の介護。老老介護だ。痛みと不安と、おそらく時間の感覚が不安定になっている母のそばにつきそうと言うのは予想以上にしんどかった。父の、姉の、悲鳴と疲労に泊りがけで手伝いに行った。本当に、甘かった。ほんの一日で打ちのめされた。何もしてやれない。何も役に立たない。小さくなってしまった母の慰めにもならない。夜中中痛みを訴える母に何も出来なかった。無力な私とは裏腹に母のそばには強力なサポートが敷かれている。日々通ってくれるヘルパーさん。介護のアドバイスをくれるケアマネさん。在宅治療をしてくれる鍼灸治療の先生。新たに加わったショートステイ先の担当者。たくさんの人に支えられて母は生きている。そんな中。ひときわ熱心に母に寄り添ってくれる方々にお会いして驚いた。知人に似てる。本当に良く似てる。顔もそうだが、雰囲気というか優しい信頼できるオーラが。一目見て全部安心できそうな感じ。最近初めましてな方々が良くも悪くも知人に似ていることが多い。その中でもダントツに似ている。これはどういうことなんだろう?と、思いつつご無沙汰ばかりの知人を思う。元気にしているだろうか。幸せに暮らしているだろうか。今日も初めてお会いしたショートステイ先の担当者が、またまた知人によく似ていて驚いた。なんだろう?これは!幸せに暮らせなくなった母を、思う。今の自分の生活は弓道が殆どを占めている。なんとも幸せな日々だ。母が骨折をしてからまず、父と姉の生活が一変した。当然、自分も。もう、弓道はしばらくできないんだろう。試合も、初めて欠席した。主催した練習の会もとうとう欠席してしまった。来週の団体戦も行くことはできない。天秤にかけたくないものを天秤にかけ、優先順位を決めるというはなんと切ないことだろう。