西国第三十三番 華厳寺 (父の紀行文より)
(1992 年に父が書いた原文のままなので、現在では変わっている部分もあるかもしれません)西国第三十三番 華厳寺 岐阜県揖斐郡谷汲村徳積23華厳寺へのルートは三つ。第一は新岐阜駅前から名鉄揖斐線で黒野乗換え谷汲へ(1)。鉄道ファンが喜ぶ軌道線だが時間がかかる。第二は樽見鉄道で谷汲口へ。バスに乗換え谷汲山へ。接続はいいがバス路線はいつまで健在かわからない超閑散路線。第三は近鉄養老線で揖斐へ。揖斐からバス谷汲山へ。問題はこのバスで、一日に僅か四便。(2)谷汲駅近くの総門からの長い門前町は、県の手による修景工事で、ブロック敷の並木の美しい道となった。道に面し土産物屋や食堂が並ぶ。共倒れが心配になる位の数だ。仁王門に入る。幅広の参道の両側の高い木立の中の諸堂には、吒枳尼天堂のように参詣者が絶えないお堂もあれば、いまにも倒壊しそうなお堂もある。参道沿いに白い背の高い幟が並ぶ。この幟の列は、近畿地方では見られない習俗だ。参道を詰めると石段。狭い敷地一杯に本堂が立つ。堂内はまっ暗。右端の納経所だけがうっすらと明るい。ここで最後の納経印を受ける。本堂の後ろに、厚い苔に包まれた水掛不動がある。全身に無数の納経札が貼りつけてある。気味の悪い像だ。笈摺堂もオドロオドロしい。納経印を押した笈摺がうず高く積上げられ、膨大な数の千羽鶴が下げてある。笈摺堂の左の高い石段の上に満願堂が立つ。薄暗い本堂裏で、大人と子供が半々の一団が、腰をかがめて般若心経を唱えていた。没我の境に浸っている様子だった。以前年末に参った時、思い詰めた目つきの女性が、雪解けの泥をものともせず裸足でお百度を踏んでいた。いずれも通常の熱心さを超えた人々だ。華厳寺の印象は暗い。西国巡礼の寺には明るい寺が多いだけに、満願寺に至ってのこの暗さはなんなんだろう。満願の喜びを体で表現するなんてできっこない雰囲気だった。(1992.07.21)(1) 名鉄揖斐線は平成17年に全線廃止になっています(2) バスは、揖斐駅と谷汲口駅より揖斐川町コミュニティバスがありますが、本数は多くないようです。