JR和泉砂川駅~JR和泉鳥取駅 (小栗街道その10)
小栗街道歩きの最終回。JR和泉砂川駅近くの信達牧野交差点から南に向かう。このあたりは落ち着いた住宅街で、旧街道らしい古くからの御宅もある。「熊野街道」の標識この道は、熊野街道、小栗街道、紀州街道という3つの名前を持っている。泉佐野から南は府道64号線が小栗街道と重なっていたが、岡中という交差点で64号線からはなれ、信達岡中という集落内に街道は続いていく。信達岡中は古くからの街道の雰囲気が残っていて、白い蔵のある家や、虫籠窓のある旧宅が並んでいる。ここ、みんな顔見知りなんだろうなぁ~と思える地区。そういうコアな雰囲気は300m足らずで終わり、阪和自動車道泉南ICからの道と交差するあたりは、コンビニもある景色。天満橋から歩いてきて感じたのは、コンビニは景色の中の現代を感じさせるアイコンだということ。「古くて趣がある」とか「古道らしい雰囲気」と感じる景色のなかにコンビニは存在しない。古い町並みの中にももちろん現代は存在している。蔵つき旧家の横に若夫婦のモダンな住居、出窓にはミッキーやプーさんのぬいぐるみが飾ってあったりするが、ミッキーやプーさんにはコンビニほど今を意識させるパワーはない。“街並み保存”に命かけているほどではない普通の古い街並み程度なら、ミッキーやプーさんは自然にそこの住人になっている。でもコンビニは違う。コンビニがあると、「はいっ そこまで!」と古と今との境界を感じた。でも便利なんだよね~ 喉が乾いた時や小腹が空いた時泉南IC北交差点を横切ると、長い上り坂。今までで一番の上り坂だった。これまでずっと平坦な道だったことに逆にびっくりだったかも。「いや~ん 坂じゃん」と感じたことがなかったから。坂を上っていると、ホーホケキョ!とウグイスの鳴き声が聞こえた。彼らも梅が咲いているときだけ生きているわけではないから、今鳴いていても不思議じゃないが、季節感はこわれそう。足元見ると、マンホールの図柄が梅。納得して、坂道を上る。自分で勝手に決めたゴール、JR和泉鳥取駅はもうすぐ。駅が近くなると、新しく住宅を開発している現場が増えてきた。1900万で戸建てが買えるようだ。天満橋から約53km、歩き始めから3年6ヶ月、全11回にわたった小栗街道歩きのゴールな、なんか、わびしい。ゴールの景色としては、最低ランクねあまりにわびしいので、ゴールから100m離れていないJR和泉鳥取駅の写真を貼っておく。小栗街道(熊野街道)は、向こうに見えている山を越えて紀州に入り、そこから熊野をめざす。紀伊半島は大きいので、ここから私が今まで歩いた4倍以上の距離、それも山道を歩かないと熊野には着かない。後白河法皇は生涯に34回も熊野詣をしたそうだ。当時は京の都から舟で淀川を下り、今の天満橋、八軒家浜から小栗街道を南に向かい熊野をめざした。京を出発して3日目には、私がゴール地点にした泉南市付近にいたらしい。 はっやいな~実家近くに小栗街道があるので、昔から親しみのある道だった。父が車の運転で小栗街道での離合によく苦労していた。50の手習いで取った免許で、下手を通り越してド下手だったので、狭い道の離合は苦手中の苦手だった。そのことをからかうと、「小栗街道は法皇や上皇がしずしずと熊野詣に行くための道なんだ、そのサイズで道ができてるんだから仕方ないだろっ! 法皇がセドリックに乗ってるか?」と訳わかんない逆ギレをしてた。「一緒に街道歩きをしようよ」と言ったら喜んで歩いたろう。でも、生きている時はそんなことを微塵も考えつかなかった。人生ってそんなもの。一応小栗街道は、ロンっ!!になったので、次は紀州殿様参勤交代コース、紀州街道を泉佐野市立第三中学校から住吉大社まで歩く予定。今度のMyゴールは住吉大社なので、華々しくゴールを飾れるはず。2年以内には終えたいな。今回歩いた距離は2.9km。