五木寛之『元気』
【人はみな元気に生まれ元気の海へ還る】五木寛之【リ】]$9/病気になって死ぬのは 嫌ですよね。特に長く患うのは まっぴらごめんです。ロビンソンは、ぴんぴんころりと 逝きたいと思っています。生きている限り 元気がいいなぁ。うらのおばあちゃん、80歳ぐらいかなぁと思っていたが、なんと90歳だそうだ。おじいちゃんは93歳。2人ともボケもせず、入院もせず お元気です。朝から お掃除したり 草をむしったり元気です。テレビを一緒に見て 笑っている声も大きい。いつも お手本にしています。 さて、74歳の五木寛之が考える元気とは どんなものか?人間は、体力・脳力・気力でできている。脳力には、感情や知性心も含まれる。体力と脳力は物であり、人が死ぬと滅びる。しかし、気力というのは、大自然の力であり命である。人(命)はみな元気の海から生まれ、元気の海に還る。自分は、自然の分身である(野口三千三) 天と地を作りだしたエネルギーが「元気」であり、なにものにもさえぎられないエネルギーである。小さな自己への執着を捨てて、大自然のはたらきに身をゆだねる。今、生かされていることに感謝する。そのために コンディションのいい心身を自分で維持すること。そして、天寿をまっとうしたい。白隠法師の元気法 夜船閑話「やせんかんな」では、肺は衰え、頭はのぼせ、耳は鳴り、足は氷のごとく、動作は乱れ、幻覚が生じ、全身には汗、目には常に涙となった白隠法師が、白幽先生という仙人に養生法の教えを請う。「内観の法」心を足の裏、土踏まずのところにおさめる 百一の病を治すことができる。静かに正座し、だまって出入りの息を数える。「軟酥の法」香り良く、色も美しい柔らかな酥(チーズのようなもの)の鴨の玉子ほどの大きさの物を 自分の頭の上に置いたと想像しなさい。やがて、頭熱で軟酥(なんそ)は溶け始め その液は頭全体をひたし、しだいにじわじわと皮膚を伝って 両肩、両腕にも流れ下ってくる。やがて、胸元から腹へ、肺、肝、腸t、背骨、腰とたらーりたらーりと下ってくる。その時 心耳をすませば 体にたまった五臓六腑のとどこおり つかえや痛みなどが 感覚の降下にしたがって 氷が流れるように下っていく音がはっきりと聞こえるはずだ。やがて、とけはじめた酥めは全身をめぐり流れ、両脚をひたし足の土ふまずにいたって ついにとどまる。そこで ふたたびつぎのように内観しなさい。この流れくだる酥が暖かく全身をひたすのは、世の良薬をすべて集めて風呂をわかし、その中に下半身をつけているようなものだと。こう観想すれば 心身は快適となり、さらにつづければ 必ずすべての病は 完治するであろうと教えられる。世は養生ブームであるが、すべての養生法は気やすめである。効果を期待してやる養生法は長続きがしない。気やすめだと思いながら、長く続くのがいい。・・・本の要約 といいながら、実は五木寛之さん かなりの健康フリークのようです。どの本を読んでも、呼吸法とか 電車の中で足の指を動かすとか 歩くとか いろんな養生法が出てきます。うがったロビンソンの考えでは、五木寛之は 50歳ぐらいから かなり体の調子が よくなかったのでないのかな?暗い方へ考える 鬱っぽい理屈詰めの感じを受けます。それでも、医者にもいかず、自分の体を何とか維持しようと気にかけてきた。そして、たくさんの仕事こなしてきた。ちょっとやり過ぎぐらいです。ウィキペデイアで年表やら 作品やら読んだら、すごい多作です。その上、ラジオの放送を続けたり、毎月の随筆みたいな仕事もたくさん持っています。自分で言っていることと やっていることが少し乖離しているのではないのかな?教師で昇進試験に受かるために ストイックに夜遅くまで勉強していた父親。終戦のつらい記憶から 父親を責め 否定してきた。五木は自分は、叙情的だった母親に似てると言いながら、ストイックに考え続け、たくさんの仕事を続けるのを見ると 父親似なのではないのかな?父親は、戦後の生活にうまく乗れず、アル中で若くして死んだ。戦争末期に病死した母親、すごい努力をしたが叶わず死んだ父親、癌で若くして死んだ弟。家族への思いが、彼の生きる意味を考える原動力なのか?まだまだ五木寛之を知る旅は つづく★考えたら、お隣のおじいちゃんとおばあちゃんは 五木さんより10年以上長く 元気に生きている!暗い顔もせず、よその溝の掃除までして 元気元気!健やかに 長く生きる方法を おばあちゃんたちから 盗もう!