大王崎に来た大王を 妄想してみた!
大王崎に来た大王を 妄想してみた! 緑の〇が浅間山妄想歴史家のロビンソンだわ。志摩半島の地図を見ていて、不思議なことに気がついたわ。この狭い空間に 浅間山が5つもあって、変形の5角形なんだわ。・・・正しくは、4つの浅間山と 朝熊(あさま)岳なんだけどね。・・・まるで結界のようだわ。 そして、浅間山・・・内宮・・・朝熊岳・・・神島・・・大山と 横一直線に並んでる。もっと不思議なことに 瀧原宮・・・外宮・・・二見神社・・・龍宮社・・・知多半島の先端の線と 平行なんだわ。 この前書いた 大王崎・・・伊雑宮・・・内宮・・・外宮が、一直線なのも不思議よね。 志摩半島に初めて天孫系の国を作った大王は、岬や山を頼りに航海する海洋系の民族で、かなり正確な測量術を持っており、結界を作る呪術を持っていたのかもしれない。結界の言葉は、アサマと言ったのかも? アサマ信仰を調べたら、富士山信仰なんだって。ひょっとしてこの線を伸ばすと 富士山に到達するのかも?ちょうどいい地図がないので アバウトだけどやってみた。鉛筆の先が、富士山だわ。 この5つの浅間山に登れば、富士山が見えたんだろうな。・・・確か和歌山でも 見えるって聞いたことがあるから・・・ 火山の名前に 阿蘇 浅間 赤城が多かったり アサマには火山の意味があるという記事も見たけど・・・確定ではない。この民族は、火山にパワーを感じる民族らしい。 とすると伊勢志摩に初めて降り立って、国を作った大王は、ニニギノミコト系統ということか? 古事記の中で、ニニギノミコトは、アマテラスの孫。天孫系で初めて日本に降り立った神様ということになっている。その天孫降臨の道案内をしたのが、猿田彦です。猿田彦は、国津神。前から日本にいた神様。どうもこのころ天孫系の神と 国津系の神の娘との婚姻が多い。 内宮と外宮の間に 猿田彦神社があります。一緒に 天岩戸の前で踊りを踊ったアメノウズメノミコトも祀られています。伊勢神宮近辺には、案内人も 案内人の奥さんも ニニギノミコトの奥さん コノハナサクヤヒメも祀られているのに なぜニニギノミコトがないんだろう?????なぜだぁ~? ☆朝熊で閃いたんだけど 熊野の熊だわね。熊野から飛鳥に入った天孫系と同じ系列ってこと?熊を神聖化するのは、熊神話がある 高句麗系なのかなぁ?☆熊野 朝熊 あさま・・・・・・・・。熊本 阿蘇・・・。日向(ひむかい)とは、宮崎じゃなくて、熊本かもよ。昔の日向は広かった。≪ 参考記事 ≫・浅間神と木花咲耶姫命が同一視されたのには木花咲耶姫命の出産が関係している。中には木花咲耶姫命の父神・大山祇神や、姉神・磐長姫命を主祭神とするものもあり、それらを含めて全国に約1,300社の浅間信仰の神社がある。これらの神社は、富士山麓をはじめとしてその山容が眺められる地に多く所在する。その中でも特に、富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされている。・・・ウィキペディア ・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祭神とする富士山信仰の系列。信仰対象は富士山であって浅間山ではない。静岡県富士山本宮浅間大社を総本社とする。 系列社は富士山を望める東海、関東に多く存在し、東北や中国、四国などには少ない。木花咲耶姫は大山積神の娘にして、ミスター天孫降臨瓊々杵尊(ににぎのみこと)の妻である。このサクヤとニニギ夫婦の微笑ましい新婚エピソードが現代に伝わっている。 新婚ホヤホヤのある日、サクヤは長期出張から帰ってきた旦那のニニギに自分が妊娠したことを告げた。この話にニニギは妻を疑った。何せ二人が夜を過ごしたのはたったの一晩だけなのである。ニニギ「おまww、俺が出張中に浮気したろ!!」サクヤ「・・・ッチ。お疑いなら仕方ありません。潔白を示すために部屋に火をつけて出産します。 この極限状態で無事に生まれてくれば、正真正銘あなたの子ですからね。文句ないわね!?」サクヤは余人には理解しがたい超理論を捲し立てた後、妊婦特有の行動力を発揮。 本当に部屋に放火して出産を始めた。こうして無事生まれたのが、かの有名な海幸彦と山幸彦である。イイハナシダナー。 ・・・ニコニコ大百科 ・ニニギノミコトは、天照大神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたとされる。これを天孫降臨と呼ぶ。『古事記』では、この降臨の地については「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記述している。この降臨の経路の解釈ついては、日向国の高千穂峰に降り吾田国(現在の鹿児島県南さつま市)の長屋の笠狭碕に到達したとする説が有力である。日向(ひむか)の歴史はかなり古く、鹿児島県大隅地方もその昔は日向と呼ばれていた。行政上、日向国が設置されたのは7世紀になる。ニニギは薨去後「可愛之山稜」に葬られた。埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山陵」の伝承地は南九州各地にある。宮内庁の調査により、明治29年、宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」、宮崎県西都市西都原古墳群にある男狭穂塚を「可愛山陵参考地」と定めた。男狭穂塚は九州最大の古墳である。可愛岳そのものが神陵であるという伝承もある。・子安神社(三重県伊勢市) 伊勢神宮皇大神宮(内宮)所管社。内宮の子安神社は、コノハナサクヤヒメを祀ってるそうです。・女狭穂塚(めさほづか)は宮崎県西都市にあり、古墳時代に造られた九州地方で最大の前方後円墳。西都原古墳群 に属する。コノハナノサクヤビメの陵墓として宮内庁陵墓参考地となっている。