“おもひでぽろぽろ”を観た!なんでかなぁ~イージーだな!
“おもひでぽろぽろ”を観た!なんでかなぁ~イージーだな!雨だから、畑仕事はないよ。朝からダラッと、“おもひでぽろぽろ”の録画を観た。前半がだるい。中盤もだるい。後半で、なんでそうなるのストーリーに乗れないおいら…。ただただ、バックの景色の見事さに感動した日本人はこうやって、土地を大事にして生きてきたんだな。ここに弥生人の姿があると思った。土地に根付いて、米作り・野菜作りをして暮らす。日本人は、米作りを始めたことで、安定して多くの食料を得ることができるようになり、多くの人を養うことができるようになった。米を蓄えることができるようになった。そして、土地を移動しなくなった。それが、閉鎖的な社会の始まりともなったんだな。おいら、縄文の世界にあこがれている 縄文人は、原始人だって思ってる?違うよ縄文時代は、中国でいえば、殷・周・戦国時代に当たる。決して原始人の時代じゃないよ。日本の縄文人たちは、国を作っていなかった。だけど、海と山は交流し、新しい生活技術を磨きながら、豊かに暮らしていた。縄を作る技術があり、縄文土器が作られた。石槍猟から弓矢を使ってイノシシなどの猟をした。猟には、犬も使われた。海の近くでは、骨で作った釣り針を使い、丸木舟か筏で漁をしていた。内陸でコチ・ハモ・黒鯛。外洋では、カツオ・マグロも獲っていた。栗・どんぐりなどの採集生活をしていた。大きなかめにがっぽり保存した。灰汁を取ってクッキーも作っていた。干し魚にして保存した。家の近くには、里芋・雑穀を焼畑で栽培した。ヒガンバナなど非常用の食料も植えていた。ちゃ~んと備蓄もしていた。祭日と普段の日で、食器や服装も替えていた。貝細工や石などの装飾品も持っていた。精巧な土器と漆工芸。土偶・勾玉・石棒の技術もあった。海と山の交流があり、長野でも、貝の装飾品が残っている。また、石器に多く使われた黒曜石は、産地から遠くに運ばれ、本島から離れた八丈島でも見つかっている。つまり、流れのはやい黒潮を船で渡る技術があったということだ。一説では、中国に渡る技術もあったとか。再分配システムもあり豊かな社会と文化があった。実は、田んぼにしがみついていた弥生人より、縄文人のほうが、行動半径が広く、食生活も豊かだったということだ。おいら、縄文人にあこがれてるわ。今朝の、“おもひでおぼろぼろ”は、どうもイージーな気がした。本当に自然が好きなんかい?人の心に触れたからうれしかっただけじゃないんかい?? ≪参考記事≫ 縄文人は原始人じゃないよ!