地震後、ボクの「帰宅難民」記(全40km)
3月11日(金)14時46分、「東北地方太平洋沖地震」が起きた。その直後から今朝までのこと。3月11日14:50■地震発生直後、会社の階段ホールの壁上部にヒビが入った。小さな縦に入ったヒビだったけど、地震で揺れるたびそのヒビが開いたり、閉じたり。揺れが大きくて、何かにつかまっていないと立っていることさえできない。「外に出よう!」。15:00■会社近くの公園に避難。ここには多くの人・人・人・・・。大半の人がワンセグをチェック。話題になったのは、九段会館の天井が崩落したこと、お台場の火事。■交差点の角にある10F建てほどのビルが左右に大きく揺れるのが見えた。隣のビルとぶつかりそうだ。そのビル下にいた人たちがビルの揺れに気づいた。途端、人が群れとなって一斉に横断歩道を渡り、こちらに駆けてきた。その様は、まるで怪獣映画のワンシーンのよう。怪獣(ビル)の攻撃から逃げ惑う民衆に見えた。17:30■16:00会社に戻った後、通常より1時間早く17:00終業に。仲間3人でいったん新宿駅へ。駅員に復旧状況を確認したところ、「早くても復旧は明日(12日)の始発」との返事。その瞬間、徒歩で自宅へ帰ることが決定した。17:40■まずは池袋方面に向かうため、明治通りへ。とあるビルの前の道路は通行止めに。何事かと思って見上げたら、5階付近の窓ガラスが割れて、落下していた。18:00■明治通りは池袋方面に向かう人と、逆に渋谷方面に向かう人が大量に入り混じって、歩いていた。人の行列が延々と続く。100~200m先を見渡しても人・人・人・・・。原宿駅で電車の車窓から見える「竹下通りの大混雑ぶり」に似た風景だった。■後ろを歩くOLたちの会話。「会社に備蓄してあった乾パンを出し惜しみして、あまり配っていなかった。まだたくさん残っていた。もっともらえばよかったな。今日、全部捌かなくて、いったい、いつ使うっつ~の?」18:30■池袋駅に到着。駅の前、そして中も人で溢れかえっていた。『いけふくろう』そばの階段には、電車の復旧を待っているのだろうか、多くの人たちが座り込んでいる。それが何列にもなって連なっていた。この人たちは、朝までここにいるつもりなんだろうか?■地震発生後、初めて自宅へメールを送信できた。自宅家族は安全な状態であることを確認した。だが岩手の実家には、まったくメールを送ることさえできず。「通信エラー」と表示が出るのみ。19:00■川越街道へ。 明治通りよりは多少人数が少なくなったものの、板橋、練馬、埼玉方面に向かう人たちの大行列が続く。■ふと見ると、街道に面した自転車屋が賑わっていた。自転車で家まで帰ろうとする人が多いのだろう。値段を見ると、一番安いのものでも1万5千円前後だった。これを買うくらいならホテルか旅館に泊まった方がいいと思ったが、一刻も早く自宅に帰りたい人には、決して高い値段ではないのだろう。20:00■テレビが置いてあるラーメン屋で夕食、しばらく休憩。地震の被害の状況が報道されていた。津波におもちゃのように流される家とクルマの映像が何度も何度も繰り返される。21:30■川越街道から新大宮バイパスへ。笹目橋を目指して歩いていたが、いつになってもたどり着けず。「いったい、どれだけ歩けばいいんだ?」■ワンセグをイヤホンで聞きながら歩く。古館さん(『報道ステーション』)の声がBGM。23:00■笹目橋を渡る。このあたりになると、さすがに歩いている人が少ない。地べたに座り込んで休憩するサラリーマン風の人が何人かいた。■携帯電話のバッテリーが切れる。24:30■およそ30kmほど歩いた。足が痛い。この辺りになると歩く速度が落ちてきた。■浦和から与野にさしかかる地点で、サンダル履きの男性に声をかけられる。「どこまで歩かれるのですか?」「まだ10kmほどあります」と私。「じゃぁ、私の自転車をどうぞ使ってください」「え?」事情を聞いたところ、その人も都内から自宅まで歩いて帰ってきた。そして自宅でテレビを見て帰宅難民の様子を知り、自分も何か人の役に立ちたいと考え、自転車を貸すことを思い立ったという。自宅外に出たとき、たまたま通りかかったのが私だったらしい。24:50■あまりの美談に「へんな宗教の勧誘めいたことだったらイヤだな」とあらぬことを考えたが、背に腹は代えられない。お願いすると、出てきた自転車はGT社製の高価なマウンテンバイク。ボクも何台かマウンテンバイクを買い換えたが、こんな高価なものに乗ったことがない。貸してくれる自転車=ママチャリと思っていたが。「いいんですか?」「はい、どうぞ」。私の名前と連絡先をメモに書いて渡す。相手は「M」と名乗った。出発!25:00■自転車に乗ると、夜の冷気が全身を刺す。特に手が冷たい。何度か自転車を止めて手を温める。友人たちから何本かメールが届く。みな前日送られたメールのようだが、今頃になって届いていた。手がかじかんで満足に返事が書けなかったが、どれにも「寒い!」と返事した。25:30■無事、自宅に到着。■ありがとう、Mさん!! 疑って申し訳なかったです。なんて素晴らしい人が世の中にいるのだろうか。(菓子折をもって返却した) 3月13日7:30■やっと岩手の母と電話で話ができた。無事であることを確認した。 今日も1クリックお願いします