こじれた恋の見きわめと仮処分について
ここ10日ほど、アメ寅よりも、シンノスケ尋常小学校よりも、ストーカーの方が気になる。で、ある程度のまとまった筋道をつけてはみたものの、なんか、すごく長くなりそうで、着手できずにいた。今日の朝日新聞でみた以下の文章が、迷いをとりさってくれたばかりか、ものすごく、要約できる道をしめしてくれた。-----------------たとえば、「悪いことはしてはいけないからしない」、これは道徳であり、 「悪いことはしたくないからしない」、これが倫理である。 池田晶子『私とは何か』----------------- 「恋」すると、変な行動をとる人を、まぁ、良く見かける。だけど、どこからがストーカーで、どこまでが常人なのか、と。考えてみる。相手に迷惑をかける行為、法律・道徳・倫理に触れる行為が伴えば、まずストーカーである。その手前のレベルは、今のところ、グレーゾーンとしておく。「恋心」は、自分の外にあって、野良猫のように勝手に暴れまくっているわけではない。なかなかコントロールはできないが、つねに自分とともにある。ちょっと、例えをかえてみる。恋心に「幼稚園児」の頃の自分の姿を着せてみる。ときには、泣いたりわめいたり、手におえないこともあるだろうが、だからといって、ほったらかすわけにはいかない。せめて、なだめてすかせて、世間様に後ろ指さされないていどには、育てたい。法律・道徳・倫理に触れさせるわけにはいかない。自分が小学校の頃に住んでいたアパートには、色んなタイプのご夫婦がいた。木造2階の昭和のアパート。防音もそこそこだし、夫婦げんかの勢いに、他室のひとびとが巻き込まれることもシバシバ。まぁ、大人のケンカは、怖いし、汚いし、気分がわるい。そんななかに、ケンカになりそうな気配なのに、さっさと負けをみとめてしまう若い男の人がいた。かなりあとになって、「ベタぼれ」という言葉をしって、ああ、そういうことだったんだと追認する。会社の上司であれ、政治家先生であれ、両親であれ、法律・倫理・道徳に反する行為を指示されても、実行してはいけない。これは、自明の理。『宙船』の歌詞も参照しよう。相手を傷つけるとか、暴力をふるうとか、そういう気持ちがわいてきたら、きっとそれは「間違った恋」だと確信しよう。バカな幼稚園児が、仕返しとか暴力とかを実行しようとして騒いでいたら、まぁ、ねじ伏せて説教するしかない。法律・道徳・倫理に触れない人生を、おくらせてやるために、上から目線で対処すること。13歳以上のひとならね、きっと、だれにでもできるさ。CD/TOKIO/宙船(そらふね)/do!do!do!/JACA-5159