平岩弓枝著・五人女捕物くらべ上下
著者の作品には「はやぶさ新八郎御用帳」「御宿かわせみ」などの捕物帖シリーズがありますが、この本も、主人公の本多忠吉郎と言う青年武士と岡ッ引の小平次、ぽん太、それに五人の女達が登場する捕物話です。(5人の女=売れっ妓の講武所芸者「太公望のおせん」、琉球屋の若い女主人「琉球屋おまん」、早変わりが売ものの女役者「七化けおさん」、猫の調教が出来るという「猫姫おなつ」、若い尼僧「花和尚お七」)著者の作品は,肩がこらず気軽に読めて、疲れた時にはとても良い気分転換になるのです。私が最初に読んだ平岩作品は、NHKドラマでも放送された「御宿かわせみ」でした。江戸、東京と時代は変っても、平岩作品は市井の人々の日常を丁寧に取り上げた物が多く、その人物や町の風景の描写が巧みだからでしょうか、ついついその世界に引き込まれてしまうのです。登場する人々は其々に実在感が有り、生き生きと行動していて、読み進む内についつい身近な知り合いのように思えてくるのが不思議です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<五人女捕物くらべ> 時は江戸。主人公は、本多忠吉郎と言う仔細ありげな青年武士で、忠吉郎は、江戸神田連雀町に住む岡っ引、小平次の家に居候しています。(下記の ・・・○△□・・・ の部分は小説からの引用です) ☆主人公・本多忠吉郎・・・彼の素性は、その界隈の者は誰も知らない。いつの頃からか小平次の家の二階にいついていて、小平次は「ちょいと知り合いから頼まれて・・・」としか語りたがらない。年令は、ぽつぽつ三十を超えるのではないかと思えるのだが、どうやら独り者らしい。一日中、お玉が池の千葉周作の道場へ通っていて、やっとうの腕はかなりのものらしいが、彼が斬り合いをしたのを誰も見ていないから、真偽のほどはわからない。格別の美男というほどでもないが、余程、生れ育ちがいいのか、どことなく品がよい。それで、ありゃ大名かなんぞの落とし子じゃねえか、と噂をする者もいたが、まさか、大名の血を引く者が岡っ引きの居候になるわけはなかろうと、やがて、その噂は消えてしまい、その代わりに、やれ八丁堀の与力が妾に生ませた子だとか、小平次が手がけた事件にかかわり合いのある浪人者ではないかと、さまざまな素性がささやかれている。・・・☆太公望のおせん ・・・まだ少々、しめり気が残っていそうな洗い髪を、浅黄ちりめん(※1)を縫った細い紐で、首から五寸ばかり下がったあたりできりりと結び、日よけの笠をかむっている。鰹縞(※2)の単を裾短に着て、幅の狭い博多帯を男結びにして、そこに縮緬の手拭いを無造作にはさみ込んでいる姿は、知らない人がみたら、いったい、どう言う女なのか見当もつかないだろう。・・・☆麻布界隈風景・・・狸穴へ入ったところで、名物の蕎麦を食べ、一休みしてまた歩き出す。高台から眺める広尾の原は田畑が気持ち良く広がっていて、日差しは強いが、木々が多いので笠は殆どいらない。ゆるやかな坂道を下って行くと、大名家の下屋敷やら寺やらが続き、田植を終えた青田が、江戸の下町育ちのぽん太にはひどく閑静に思えた。「なんだか田舎へ来ちまったような按配でござんすね」ぽん太が言い、忠吉郎が応じた。「まあ、江戸もはずれだからなあ」 ― 中略 ―「ひとむかし前は麻布七村といって、龍土、桜田、谷町、市兵衛町、六本木、上ノ町、雑色と、みんな村だったんだ。そもそも麻布という地名からして、この辺は麻を植え、そいつで布を織るのが盛んだったからついた名前だというからな」・・・現在の麻布や六本木の辺りとなんと言う変わりようでしょうか・・・。最後に主人公の身分が明かされ、読者に続編を期待させて終ります。(※1)浅黄(あさぎ)ちりめん浅黄色の縮緬。浅葱とも書き、藍染めの浅いところから現れる色で葱の色に似ているから浅葱といわれる。江戸時代の宝暦、天明頃、当時の都会の流行に遅れて、まだ浅葱色の衣服を着ている江戸勤番の田舎侍のことを浅葱裏とよんだように、浅葱は裏地の色としてよく用いられた。(出典=社団法人日本流行色協会監修「日本伝統色色名事典」)(※2)鰹縞(かつおじま)縞織りの名称で、鰹の背から腹にかけての色の変化を模したもの。染めの場合は「鰹ぼかし」といい、主として藍色系統の濃淡による染め縞をさす。(出典=文化出版局「最新きもの用語辞典」)文中の挿し絵は「万華鏡」様からお借りしました。