母の待つ里・浅田次郎
☆母の待つ里・浅田次郎・新潮社・2022年1月25日 発行1.松永徹氏の場合知らぬ人のない大企業の社長。独身。ふるさとを持たない。母の待つ里の駅頭に立って、松永徹は錦に彩られた山々や、丸く開かれた空を見渡した。透き通った風を胸一杯吸いこみ、都会の塵をを吐き出した。秘書には法事で帰省すると言ってあった。会議も来客も会食もない2日間は奇跡と言っても良かった。知らぬ人のない大企業の社長の、親も故郷も捨てた男の、40数年ぶりの里帰りだと聞けば、誰もその先は訊ねられまい。駅からかれこれ40分もバスに乗り、目的の相川橋の停留所に着いた。出会った人は「トォっちゃんでねがか」と気安く声をかけてきた。「お母さん(おがさん)、首さ長ぐして待ってるど」と言い、「久しぶりだから帰る道さ忘れてねがか」と道を教えてくれた。教えられた通りに狭い坂道を登ると、茅葺き屋根の曲がり家が見えた。何もかも忘れてしまったけれど、そこが松永徹が生まれた家らしい。庭続きの畑から立ち上がった母が、「きたが、きたが、けえってきたが」と迎えた。まるで天から降り落ちてきたようなおふくろだと松永徹は思った。玄関と呼ぶにはあまりにも無造作な入り口には「松永」の表札がかかっていた。松永ちよと名乗る母は、腰は曲がっているが矍鑠たるものだ。昼飯を食べそびれたという徹に、倅の大好物だという汁を、大きな椀に盛って勧めた。里芋と牛蒡と葱がたっぷり入った、醤油味のだんご汁は美味かった。差し出した椀に、母は、おかわりを盛ってくれた。障子越しに柔らかな午後の光が射し、熾(おき)の燃える炉端は暖かかった。風呂では素手で背中を流してくれた。我が子を慈しみ育てた母の手だった。燻した沢庵を肴に炉端で燗酒を酌んでいるうち、眠気がさしてきた。手枕で横たわれば、まさに極楽の気分である。糊の利いた浴衣と丹前.ブラウン管のテレビから流れる7時のニュースは耳をすり抜けていく。どれも彼には聞き逃せない情報だったが、今日ばかりはどうでもよかった。串を刺して囲炉裏で焼いた「山女」は美味かった。夜が広い。ネルの布にくるまれた湯たんぽの、ころあいの温もりが伝わった。眠るのがもったいなかった。「なら、聞かせてけろ」母の口ぶりを真似て徹は寝物語をせがんだ。「むかしむかし、あったずもな」で始まる、庚申様の角に佇む、立派な紬の着物ば着た白髪の婆様の話をしてくれた。よく朝、上がりがまちにちょこなんと座って、母は倅を見送った。母の用意してくれたみやげは、新米一升と炉端で燻した沢庵漬け。朝食の味噌汁がうまいとほめたら、三年仕込みだという手作りの豆味噌も、どっさり包んでくれた。「ありがどがんす。またお出ってくんなんせ」という言葉に振り返れば、母は板敷に小さく丸まって両手をつかえていた。帰り道、寺の住職が落ち葉を掃く手を休めずに、話しかけて来た。まるで墓参りもせずに帰るのかと責めてでもいるかのような口ぶりだった。2.室田精一氏の場合会社から退職金の振り込みがあった日の夜、妻は離婚届を差し出した。不動産や有価証券類は問わない。預貯金と退職金の合計額のみを折半ということでご了承下さい。「離婚理由はあなた、同じ空気を吸っていたくないから」だといい、妻は出て行った。黒地に銀色のエンプレムを捺した、いかにもプレミアムを感じさせる封筒が届いたのは、そろそろプレミアムクラブの解約をしようと考えていた矢先だった。母の待つ家に向かう途中、住職が声をかけて来た。「明日にでも墓にお参りすてくなんせ。お父さんも、爺様婆様も喜ぶでの」3.親友の忠告(松永徹氏の場合・その2)「へぇ、面白い話だな。もっと詳しく聞かせろや」ほんのさわりを話しただけで、秋山光夫は食いついて来た。都心のホテルに設けられた会員制のスパ・クラブである。秋山は、松永徹の学生時代からの親友だった。年会費35万円。1泊2日の代金50万円。松永が体験した「ユナイテッド・ホームタウン・サービス」の内容を聞いたとき、秋山は「当たるかもしれねえ」と呟いたあと、「でもよォ、松永。間違っても墓は買うなよ。そんな場所じゃあ、墓参りをするったってコトだ」4.妹の助言(室田精一氏の場合・その2)炉端で食べた郷土料理は、この世のものとは思われぬほどうまかった。雪の中の湯小屋で温もまり(ぬくまり)、酒を過ごし、哀しい物語を聞きながら眠りに落ちた。雪晴れの朝、縁側の陽だまりで母と語らう時間は、柱時計の針が怪しむほど悠然と過ぎていった。リビングルームのドアを乱暴に開けて、妹の雅美が飛び込んできた。「岩手県の、縁もゆかりもないところに、お墓を引っ越すってどういうことなの。ちゃんと説明してよ。何があっても私はお兄ちゃんの味方だからね」帰り際、自分の味方だと言っていた妹は彼の話を聞いて捨て台詞を吐いた。「私、バカの味方はできない。そんなに故郷が欲しいんなら、お兄ちゃんひとりでそっちの墓に入ればいいわ。だったら勝手にどうぞ。お元気でね」5.古賀夏生博士の場合父は三十半ばで夭逝。看護士の母の手一つで育てられた。高校生のとき医師を夢見たが母は反対した。過激な勤務や研修医の生活等々、ベテラン看護師の目から見た医師という仕事は割に合わぬ仕事だと言った。けれど最終的には賛成してくれた。その母に死なれた途端、娘という安逸な立場が失われて、60の歳の重みがのしかかってきた。古賀夏生には悔いが残った。長い介護生活にどれほど疲れていたとしても、心ひそかに母を厄介者扱いしてきた自分が許せなかった。駒賀野駅でバスに乗ってから、かれこれ30分ほど経つ。相川橋までしばらく時間はかかるだろう。相川橋で降り立った途端、「あんやァ。おめはん、ナッちゃんでねのすか」ふいに声をかけられた。慈恩院の山門の下では、老いた僧が手を合わせてくれた。6.花筏古賀夏生博士の場合・その2)7.憂鬱な月曜日(松永徹氏の場合・その3)松永徹のように家族を持たなければ週末はゆっくり過ごせる。たまのゴルフも道楽と決めているし、その予定がなければスパ・クラブである。あとは読書とテレビの他にはすることがない。秘書が社長室から出ていくのを確かめて、彼は携帯電話を取り出した。ユナイテッドプレミアムクラブにかけ、ホームタウンサービスの予約の申し込みをした。いつしか高層ビルの窓は雲に呑まれていた。ふるさとも雨の季節だろうか。8.青梅雨(室田精一氏の妹の話)駒賀野駅前でバスを待つうち、ふと青梅雨という言葉が落ちてきた。バスは雅美ひとりを乗せて発車した。窓辺に倚って、見知らぬふるさとの景色を眺める兄の姿が思い浮かんだ。雅美は兄が墓を移したいとまで思った村とお寺をこの目で見たかったのだ。9.蛍(松永徹氏の場合・その4)10.無為徒食(室田精一の場合・その3)11.神の立つ日母に会いたくて、再びふるさとに帰った古賀夏生の話。廃校になった小学校の校舎玄関の石段に腰を下ろし、夏生は人の幸不幸について考えた。過疎化した村の住民を不幸だと思うのは、都会人の偏見なのではあるまいか。酸素濃度の高い空気。山々の濾過した天然の水。十分にビタミンを合成する太陽光。いわゆる地産地消の食物は間違いなく低脂肪で、糖質は多いがその分のカロリーは運動量で消費するはずである。家と家の間には距離があり、坂道が多い。ときにゲートボール、そして畑仕事。都会人に比べて慢性疾患に罹りづらく、健康寿命の長さは疑いようがない。12.満月の夜(室田精一氏の場合・その4)室田精一は一年で最も美しいに違いないふるさとの秋景色を見たかった。相川橋のバス停に降りたとき、声もなく立ちすくんだ。それほどふるさとの紅葉は美しかった。これで最後にするつもりだった・・・。13.返り花ユナイテッドカード・プレミアムクラブの担当者から、松永徹、室田精一、古賀夏生に、それぞれ下記の内容の通知が届いた。『ホームタウン・ペアレンツ(ふるさとの母)」が急逝したため、同ビレッジにおけるサービスは中止となること。他のホームタウンはこれまで通り継続すること。詳細はプレミアムクラブ担当者に問い合わせ下さい』14.忘れ雪通夜の夜、計らずも、松永徹、室田精一、古賀夏生、そしてもうひとり、大阪から来た田村健太郎、4人の「息子と娘」が集まった。皆、ふるさとを持たぬ人ばかりであった。それぞれが「母亡きふるさと」と、どう関わっていくか胸に秘めた思いを固めていた。【帯のことば】生まれ育った場所だけが「ふるさと」ですか?大切な人に会いたくなる。感動が雪のように降り積もる。(新潮社)デジタル優先の現代、愚直に人生を積み上げてきた者たちが求める「心の原風景とはなにか、身につまされる物語(中井貴一さん)フィクションでも構わない、だまされていてもいいから、「ふるさと」が欲しい。そう望まねばいられないほどの現代日本の「ふるさと喪失」の深さに、涙せずにはいられない。(隈 研吾さん)