『わたしは お父さんが欲しい』
教師が 生徒を殴る, 蹴るなんてことは 今でこそ保護者や同級生などから 公に抗議の声があがるのはめずらしいことではないですよね。以前は 生徒は じっと我慢の子、保護者も然り。抗議など考えてはいなかったことのほうが断然多かったのです。では そういう暴力教師は 家庭では どのように振る舞っていたのでしょうか。いいパパとして 生活していた人も多いものです。ご近所さんにも 腰を低くして接していたひとも多かったはずです。長年の教師生活から こうあるべき、という理想は持っていて 家族にも強要していた。。。。。。こういうひとたちも多数います。教師の子息のなかには 人格的にも 学力的にも 優れたひとたちがいることは 重々承知していますよ。ただ 問題児たちも ゾロリといることも 知っています。自分の親達への反発があるからです。何か 社会的なモンダイ、つまり犯罪がらみのモンダイが話題になると わたしの周囲は ためらう事なく 『 親は教師じゃないの ?』と言うひとたちがいるのですよね。親の世間体 見栄のために 子育てはがんじがらめ。こどもたちは 息がつまりすぎたあげく 親が喜ばないほうへ進んでしまうことは 現実的に 大変多いのです。ひとつの例をご紹介します。彼女の父親は 宗教関係における指導者でした。躾は厳しかったようですが 彼女は 親に喜んでもらいたいので常に トップの成績でした。お行儀もよく 学業成績もトップでしたから 学校での評判も極めてよかったようでした。ところが 高校2年くらいになると 成績自体の低下はなかったものの自室からは 出たがらなくなってきたようです。そして そのうちに ひどい頭痛に悩まされはじめ 胃痛でも苦しみ始めたのです。ウツ病になっていたのです。そういうことがあっても 親は ストレス、自分たちがこどもに対して起こしてしまっているストレス、ということには 気がついていませんでした。唯一 親が心がけようとしていたのは コミュニケーション。しばらくは 何も変わりませんでした。ある日 庭で 彼女は父親とふたりになっていました。そのとき 彼女は 号泣しながら 父親に言ったのです。強烈な抗議でした。「 お父さん わたしは お父さんが欲しい、教会の指導者ではないお父さんが要るの。あなたは 教育者であっても わたしにとってはお父さんではない。」父親は 驚きました。考えた事もなかったからです。そうか、家庭では 父親でなければならないんだ、すまなかった。彼女の号泣抗議のせいで そのあとの親の接しかたは変わっていったようで 彼女は ようやく落ち着いて来たのです。指導者と親は違うのです。理想ばかりを こどもに押しつけるのは 『害』になってしまうのです。時間はかかったようですが 今は 親子関係は良好ということです。