ふっきれました
長い階段の向こうには、神様がいる。ピアノの世界は、絵に描いたようなどろどろした女の世界だ。私はもともとあまり大勢の友達と群れるように関わることが苦手だし、そもそもできない為、学生の頃からそういう仲間には関わらない立場をとっていた。ただ私はピアノを勉強しに大学に通っていた訳で、仲間作りに励む為に通っていた訳では決してない。高校を不登校を経て退学したので、余計にそういう想いが強かったのかもしれないが。大学を卒業してからも地元の先生にはずっと教わっていたが、就職したので忙しく、ピアノを弾く時間はあまり作れなかった。それでも何とか通っていたものの、さほど先生と深い関わりになるには至らなかった。そして、多発性硬化症(MS)を発病したので、一時期ピアノからも離れることにならざるを得なかったのだが、いずれ復帰を果たした。その辺りから先生とただの『先生と生徒』という関係から、一歩踏み込んだ関係になっていったように思う。MSを発病したことによって仕事を辞め、私が暇なことに付け込まれたのだ。少しずつ少しずつピアノの世界の闇の部分が垣間見られるようになり、私もそこに引きずり込まれそうになった。だが、私は思い留まった。このままでいいのか、と自問自答した。その結果、やはり私は大好きなピアノが嫌いになってしまわないよう、そんな世界からは身を引くことに決めたのだ。それでも、恩人と言っても過言ではない先生の存在。来週発表会があるので、私は出演しないが、せめて当日の手伝いにだけは行こうと思い、今日久しぶりに顔を出してきた。そうだろうとは思っていたが、残念なことに、具体的なことは書けないが、その世界はより一層深く悲しく冷え切ったものになっていた。私は今の時期に身を引いてよかったと思う。あのままでは、私はピアノの本質からかけ離れた世界でピアノを弾いていかなければならなかった。私は、ピアノを好きでいたい。これからも楽しく弾きたい。昨日弾いた時、どれだけ楽しいと思ったことか。だが、社会とは得てしてそういうものだと思う。生き残り、名誉を得るにはそういう世界で揉まれ、踏まれ、それでも這い上がっていけるぐらいの強さがないと務まらない。だが、私はそういうことに何の魅力も感じないし、私が生きていこうと思っている道には、これっぽっちも必要ないのだ。今は先生から引退という名目でピアノから離れた生活をしているが、いずれ必ず復帰しようと思っている。それは、自分の為。自分だけのピアノを、心から楽しんで弾く為。ピアノが趣味であり続ける為。私は、そんな世界に身を置くことなく、自由に楽しくピアノを弾くのだ。今日、これで良かったのかずっともやもやしていた何かが、ふっきれた。