終活?
終活?いつの頃からだったか、「終活」という言葉が聞かれるようになったが、かくいう私も終活に勤しんでいる。いえ、明日死ぬとかそういうことではない。毎日の「今」という時の終活という意味である。妹の結婚の引っ越しに便乗したのをきっかけに片付け始めて早10年。断捨離を進めに進め、今や当時の一割ほどの持ち物となった。部屋を山のように占領していた小さなぬいぐるみは現在一つのみ、タンスや机や大きな家具もなくなり、小さな棚と小さなテーブルと一人掛けのソファーを優雅に置いている。がらんとして風通しが良く快適な私の部屋は、もう最高に気持ちいい。いろいろ解約もした。カードや、使っていない昔契約したものなど、ネット会員をも含めて今必要のないものは片っ端から登録を解約。アプリも削除。冷えとり健康法の半身浴で毎日身体の老廃物を出し、持ち物も長年かけて処分し、とにかく体も心も余分なものがごっそりと削ぎ落とされて、とてもさっぱりしている。実際に無駄な贅肉も落ちて体は引き締まった。終活という言葉は、なにも高齢者だけに限られた言葉ではない。私の言う終活とは、こういう意味である。もともとゴテゴテしたことが好きではなく、簡素なものを好む。このブログもそうだが、「淡々と」という言葉が私にはぴったり当てはまるような気がする。こんな難病を患ったほどなのだ、以前の私はよほどのストレスの中で生きていたのだろう。その鬱憤を晴らす手段が買い物だったが、今ではストレス発散と買い物とが結びつくことはない。一度このスッキリとした心地よさを味わうと、終活をしてよかったなとつくづく思う。