そうさ、それで、いい。
さくら、ちる母の前で、感情を押し殺すことに決めたのは、遥か遠い昔。やや回復したものの、私が多発性硬化症(MS)を患ってからは悪化の一途を辿っている。もう、母と会話をしたのがいつだったか思い出せない。というより、私は声を発しなくなった。私の声という声は、咳かくしゃみぐらいだろう。ロボットのように感情のない顔を貼りつける。いつも下を向いている。行動も母の前では必要最低限のみ。だから、感情を表に出さざるを得ないピアノももう弾かない。唯一、夕食を共にしている。母はテレビのニュースを見る。私は背中を丸くして下を向いてただひたすら食べる。それ以外は私はずっと自室に籠って自由な時間を過ごす。母の姿を視界に入れることもない。この間、ふと目に入った母の後ろ姿が小さくなっていたことにびっくりした。顔は、今どんな顔をしているのだろう。妹が泊まりに来て、先月いつぶりか思い出せないほど久々に3人で食卓を囲んだ。妹は、下を向いて食べる私に唖然とし(言わなくても感情はすぐ理解できる)、一体この姉はいつまでこんなことを続ける気なのだろうかと思ったに違いない。悪いのは、全部私だと思っている2人。母は、妹が来れば、ここぞとばかりに日頃のうっぷんを晴らすかのように文句を並びたてる。当然その中には私のことも含まれているのだが。そうさ、悪いのはこの私だ。この家がこうなったのも、全部私のせい。そうさ、私が悪いのだ。それで、いい。