敗北を抱きしめて
その本を読む前と、読んだ後では世界が違って見える、というような本との出合いがありますが、この本は私にとってそういう一冊でした。「敗北を抱きしめて」---第二次大戦後の日本人 ジョン・ダワー著 三浦陽一・高杉忠明訳 (岩波書店) この本には私が生まれて育った時代の、敗戦国日本の「事実」が書かれていました。教科書で習った歴史の向こうには、勝利国アメリカ主導の占領軍政策があり、私たちはその政策どおりに育っていた。そのことを改めて知り、愕然としました。私が団塊の世代という言葉を使うとき、その意味が新しく加わりました。当時の日本人は、敗戦国焦土日本を再建するために、平和民主主主義という理想の幻想を、選んだのでしょうか。占領軍は去ったのではなく、アメリカの軍事基地として、影になったのです。9.11事件以来、くっきりと別のアメリカと日本の姿があらわれ始めていると思います。知ること、日本という国を知ること、他者の国を知ること、自律はそこから始まるのでしょう。 そうした意味で、(突然ですが)、映画は最も簡単に他国を知り感じることのできるメディアだと思う。(ゆえにプロパガンダの危うさもつきまとうのですが) このごろはハリウッドの作るアメリカ映画も、面白く見えるようになった。(見る側の稚拙も問われる) なるだけいろんな国の映画をみてみたいと、思っています。で、昨日はwowow(TV)で「ニュルンベルク軍事裁判」を観ました。2000,米で放送された大作ドラマだそうです。第二次大戦後、ナチスドイツの戦犯たちを裁いた軍事裁判。「平和に対する罪」「人道に対する罪」をアメリカの主任検事が問いただします。ニュルンベルク裁判は1945、11/20より約10ヶ月、その後の「東京裁判」--極東軍事裁判は、1946、5/3より31ヶ月が費やされています。 14:00ごろのきょうの二階部屋の気温38℃、湿度47%、快適度82 です。慣れないことをたどたどしく、ほんの一部ですが、書いてみました。暑い。