『インセプション』
アリアドネーという名前がヒロインにつけられていることですでに、物語の見事な伏線がひかれていたのだと、映画を見終わったときにやっと、きづいた。アリアドネーは、ミノタウロスをたおすために迷宮にはいっていくテセウスに、無事に迷宮から戻れるようにと糸巻きをもたせた、クレタの王女の名前だ。物語のヒロインにこの名前がついていたということは、主人公のコブが無事に多重構造の夢の迷宮から出てくるであろうことを暗示していたのだ。あまりに眠くてなんどもうとうとしながらみていたので、物語のだいたいのすじしかわからないけれど、それなりにみごたえのある映画でした。だれでも、心の奥にミノタウロスのような、怪獣という心の闇を抱えているのだろうか。企業がらみの重要なキーワードを盗み出すというアクション系の映画の形をとっているけれど、実は人の心の闇、心の深淵を除き、自分の中の闇と対峙し、戦い、解き放たれていく物語だった。主人公コブは、死んだはずの妻との現実と夢の境界をさまよいながら、自分の中の現実をみつめていく。そしてまた、ビジネスの対象であるはずのロバートもまた、夢の中で、父親との確執から開放される。お前が私の真似をするのがいやだったのだっと、父親は言う。ロバートのゆめのなかなのに、どうして父親の本心が語られるのだろう。それは、本当は、伝わっているはずのメッセージをうけとっているはずなのに、気づかないふりを、無意識にしていたからなのではないのだろうか。ひとはおうおうにして、本当はとっくにわかっていながら、気づいていないふりをする。けれど、ロバートは、聞いていたのに、気づいていないふりをして、ずっときづついていた、心と、父親から受け取っていたはずの、メッセージを夢のなかで明確にする。「私の真似ではなく、自分の本心で生きろっ。」と。そして、主人公コブもまた、妻モルという潜在意識のモンスターから開放される。深い深い何層にもかさなる夢の迷宮から、ヒロインアリアドネーは、二人の男たちを救い出すための、糸巻きをもって、物語を完成させてくれたのだと、思う。それにしても、アリアドネーって綺麗な名前ですね。大好き。ディカプリオってそんなに名優だとも、思えないんだけど、なぜか彼のでてる映画はだいたいおもしろいんですよね。不思議だなぁ。なんでだろ。作品のよしあしを見極める眼力があるんですかね。それにしても、潜在意識を知らない間に植え付けられちゃうって、こわいなぁ。そういうことって、ほんとのところ、どこまでできるものなんでしょうねえ。でもって、植え付けられたものが実はうそって、気づくにはどうしたらいいのかなぁ。じつは、こんなおおがりなことじゃなくたって、今現在のわたしたちだって、普通の普段の生活の中で、結構いろんな価値観や、考え方を植え付けられているんだよねぇ。自分の考えだと、思っていることが実は、マスコミやテレビや、本や雑誌や、そんな色々なものからの受け売りだったり、それらからの洗脳だったりすることって、結構あるんだよね。自分が当たり前に思ってることの一つ一つをほんとにほんとかって、たまにはよーく考えなおしてみる必要もあるんじゃないですかって、ほんとに思います。 インセプション@ぴあ映画生活