『九天に鹿を殺す』はるおかりの
中国王朝を舞台にしたファンタジー。最近は一世を風靡した時代物の韓国ドラマがほとんどなくなってきて、それに代わって時代物の中国ドラマの放送が増えてきています。私もせっせとBS放送で中国ドラマを見ているのですが、それだけでは物足りなくなってきて、小説も中国ものを読みたくなってきたのです。中国後宮ものというと有名なのが、『宮廷の諍い女』なんですけど、私はこれはまだ見てません。後宮ものといえば、とにかく女同士のドロドロの抗争劇ですが、個人的にはあんまり好きではありません。で、この小説は、玉座を争って皇子同士が戦いあうお話。男性版中国王朝ドロドロ劇です。皇帝が崩御した途端、次の玉座をめぐって、8人の皇子たちが競い合うことが、制度としてシステム化されたセイ王朝のお話です。その設定がものすごく複雑で、読んでいて覚えないとならないことがすごく多いし、ほとんどが難しい漢字なので、読み方すら覚えられません。本の冒頭に記されている8人の王子のプロフィールと、システムの名前と読み方を何度も見直しながら、読み進んでいくのはなかなかに大変なのですが、それでも、読み進めてしまうのはやっぱり、今までにちょっとなかった設定と先の読めない展開のせいでしょう。中国ドラマを見ていると時々出てくるふこ(巫蠱)の呪術を基本にして、中国で実際にあった晋王朝(西晋)の内乱、八王の乱をモデルにおいて描かれています。この乱によって晋王朝は、滅んでしまったのですが、だったら、王朝が滅ばないように、臣民に迷惑をかけず、軍隊を無駄に浪費せずに、王子だけで戦わせたらどうなるかというシステムを考えた物語なのです。13か月かけて、宮廷内に出現するコキ(妖怪もの)を毎月規定数倒して、最後まで残った王子が勝つわけですが、どんなずるをしてもいいし、ライバルを蹴落とすためにだましてもいいわけで、ただ皇子同士が戦うだけの体力戦ではなく、相手をはめて生き残る頭脳が求められるわけです。このコキは、人の形で出てきますが、これもまた、宮廷に閉じ込められたふこの虫なわけです。その設定で一体どんな方法で、勝ち残るのかが、このお話の読みどころなわけです。細かいルールがものすごくたくさんあって、このシステムを破綻なく考え出すのは相当大変だったろうと思います。生き残るために皇子の心を支えるものは何なのか。それは、愛する人なのか、人生の目標なのか、もっと高い志なのか。それでは、ふこ(巫蠱)の呪術とは、何なのかというと、道教の呪術の一つで、ツボの中に餌を与えずに複数の虫を入れておくと、共食いをして一匹だけが残ります。その虫を呪術の道具として使うものです。物語では、宮廷という限定された空間の中で王子たちが戦うわけで、王子の一人は自分たちもまた、虫なのだなと、思うわけです。皇帝の寵愛を競わされる後宮もまた、ツボの中に閉じ込められて、自分を守るため、生き残るために妃濱たちが競い合うようなもので、やはりふこの虫と同じだと思います。争いを嫌って、おとなしくしていれば、殺されるか、劣悪な環境で、最低の暮らしをするしかなくなるようです。虫にしても、人にしても、狭い制限された空間に閉じ込められていれば、お互いを殺しあうしかなくなるわけで、学校や会社でいじめが起こるのも無理ないなあと思います。これもまたある意味、ふこの術に近いものがあるのかもしれません。今の日本では、学校も会社も生きていくために、どうしても行かなくてはならないところ。でも、遅刻にうるさかったり規則で縛ったり、休みもおちおち取れないのでは、ふこの虫と同じです。せっかくコロナでいろいろと緩くなったので、このまま社会全体が緩いルールで暮らしていけるほうに進んでいければいいのにと思うのです。物語の最後では、死ぬはずだったヒロインは、解き放たれて、広い世界へと旅立っていきます。それが一番の解決なんですね。ちなみに、皇位を持つ皇子たちをみんな殺してしまったら、即位した後、後継ぎも作らないうちに、すぐに、病気かけがで皇帝が死んでしまったら、そのあとの帝位は誰が継ぐのでしょう。困らないんですかね。オスマントルコ帝国でも、一人が皇帝になったら、ほかの王子たちはみんな処刑と決まっているそうで、皇帝がすぐ死んだらどうしようと困ることはなかったのでしょうか。江戸幕府なんか逆に、後継ぎに困らないよう、大奥のほかに御三家御三卿まで、用意していたほどなのに。中国やトルコってたくましいのでしょうか。そのあたりだけが謎です。九天に鹿を殺す 煋王朝八皇子奇計 (集英社オレンジ文庫) [ はるおか りの ]