『ミラーズ』怖いものの正体とは
アメリカのホラー映画っていうのは、「怖いよ怖いよ」って宣伝される割には、いつもあんまり怖くありません。なんでかっていうと、でてくる怖いものの正体が悪魔だから。あれほど騒がれていた『エクソシスト』にしても、怖い相手は、悪魔なんですね。悪魔と戦う話。 私たち日本人は、悪魔とか、地獄なんてないっと思ってますから、悪魔とか出てきても、モンスターの一種、ウルトラマンにでてくる怪獣と同じレベルでしかない。だから、怖いと宣伝されて、映画の中の人物たちがびびっていても、ちゃんチャラおかしい感じで、見終わった後には、また騙されたな、駄作じゃんとと言う感想がほとんどです。 なぜなら、日本人にとって、怖いのは幽霊だからです。ジャパンホラーのほとんどは、幽霊です。幽霊に関しては、一度も見たこともない人でも、もしかすると、いるんじゃないかと、心のどこかでなんとなく信じています。だから、幽霊の話ってすごく怖いんですよ。私たち日本人には。じゃあ何で怖いかっていうと、幽霊というのは、だいたい呪いとか、恨みの具現化したものだからです。誰かに殺されたとか、誰かに怨みをもったまま死んだ人が、その恨みをなんとかしようとしてでてくるのが、幽霊です。 日本人が一番恐れているのが、他人の恨みを買うことです。なんでかっていうと、農耕社会だから。一つの村落を形成して、その村びとたちが協力し合いながら、農業をすることで、生きていくのが日本です。だから、人の恨みを買ったりして、その集団の中で生きていけなくなると、自分の生死に関わるわけです。 だから、「村八分」とか、「いじめ」とか、「仲間はずれ」とか、「世間様」とかが、一番こわいのです。日本人が恐れているのは、ひと、他人です。 その一方で、西洋社会の場合、キリスト教社会なので、一番怖いのは、『神』です。神の怒りを買うことが一番怖いのでしょう。神は天上にいて、人間が悪いことをしないように常に見張っているわけです。そして、悪いことをして神の怒りを買うと、ひとは地獄に落とされてしまうと、信じられているからです。このあたりの感覚が、日本人にはどうしても、わかんないんですけど、でも、本当に西洋人は、信じているように思います。 もともとは、悪いことをしている人間に対して、悪いこと(殺人とか強 姦とか、盗みとか)をしないようにするために、悪いことをすると、地獄に落ちるよ、地獄に落ちるとずーっと永遠に業火に焼かれ続けたりして、この世のなくなるまでずーっと痛い辛い思いをしなければならないよと、諭されたわけです。で、悪いことはしたら、反省して、悔い改めて、常に悪いことしないようにきをつけなくちゃだめだと、いったのが、キリスト教です。ところが、それを聞いて、悪いことをしないようにするという部分より、地獄に行かされちゃうという部分の怖さの方がインパクトがあって、人々の心に残ってしまったのでしょう。で、悪いことをしたら、懺悔して、でも、あいかわらず、悪いことはしていねのが西洋人。それでも、昔よりはずっと、悪いことはしなくなったのでしょうか。でも、あいわらず、地獄と悪魔は怖いわけです。深層心理にすりこまれてるのでしょうか。 だから、その神の怒りを買ったときにおとされる地獄、の使い手であり、悪いことをした人間を迎えに来るのが悪魔なのです。 だから、西洋の映画にでてくる悪魔はどんな目的があるかとか、どんな力があるかとか関係なく、いるだけで、でてくるだけで怖いのだと、思います。それは、無条件で、たとえ自分に関係なくても、でてくるだけで、怖いと感じる日本人にとっての幽霊と、おなじなんだと、思います。 だから、アメリカ映画や洋画のホラーに出てくるのは、いつも、悪魔であり、そして、西洋人にとっては、とてつもなく怖いのでしょう。 映画「ミラーズ」でも、最初はわからない怖いものの正体は、悪魔です。物語の後半で悪魔が現実に具体化するところで途端に日本人はしらけてきますが、たぶん、西洋の人たちは、鏡の中にいた悪魔が、具現化すること自体がすごく怖いのだと、思います。それは、まだまだ行くのは先のはずだった地獄に、いますぐつれていくために自分をむかえにきた存在だからです。 そして、鏡の向こう側というのは、西洋では、地獄のひとつなのではないかと、思います。日本でも、夜中に鏡を見るのは怖いんだけど、西洋でも、鏡の向こうは、悪魔のいる世界であり、それは、つまり、地獄ということです。だから、ラストで、主人公が鏡の向こう側に閉じ込められてしまったということは、地獄つれていかれてしまったということなのだと、思います。 真夜中の12時に向かい合わせにした鏡の中から悪魔がでてくるという話を昔きいたことがあるけれど、つまり、鏡の中というのは、悪魔のすんでいる世界であり、普段はでてこれないけれど、なにかのきっかけで、でてこれる。その悪魔が現実世界にでてこれるきっかけの一つが、「エクソシスト」で悪魔に憑依された少女。悪魔がとりつくことのできる体をもった人間がたまにいるのだと、いう解釈になるのだと、思います。 鏡の中にいるはずの悪魔が現実世界に干渉できる力をもてるようになったきっかけが、映画「ミラーズ」の中では、アンナ・エシカーに一度は憑依していた悪魔であり、そこから一度鏡にもどされてしまった悪魔が、もう一度現実世界、地上世界に戻ろうとしていたという物語です。 主人公が働いていた廃墟同然のもとデパート自体が、なぜ壊されずずっとあるのか、しかも、さらに警備員をわざわざ雇って夜中にパトロールをさせていたのか。たぶん、立て直したり建物を壊そうとしたりすると、中にいる悪魔の力によって、妨害されていたのでしょう。そして、なんらかの力で警備員を雇わざるを得ない状況になっていたのだと、思います。それは、中にいる悪魔が、自分が地上にでるためのエシカーの体を取り戻すため。そして、悪魔の力は、夜でなければ、使えなかった。だから、昼間の警備員は、まったく影響を受けていませんでした。 ラストで悪魔とたった一人で戦う主人公。しかし、悪魔をたった一人の人間が倒せるとは思えません。悪魔がまだエシカーの体にとらわれていた間は力にも限界がありますが、地上世界でそのエシカーの体もなくなった時、やっと、悪魔は地上に出現できる。ラストのあと、悪魔は地上にあらわれて、主人公の他にも、悪行をした人たちを鏡の中の地獄にとりこんだのかもしれません。 物語序盤で、火に焼かれる人たちの幻影は、地獄の業火に焼かれる人を意味し、鏡の中で焼け爛れる女性もまた、鏡の中に地獄があることを意味しているのではないでしょうか。そして、主人公の家族までが悪魔によって引き込まれていきます。悪いことをすれば自分だけでなく、自分の関係する周りに人までもひきこんでしまうことをあらわしているのかもしれません。そして、ひとを殺し、酒におぼれた主人公が、鏡の中のとりこまれてしまうというラストは、やっぱりこわいですね。 ミラーズ@映画生活