フィリピン妻は結婚できない中年男を幸せにするか? 奇跡の婚活、夢の果てに=鈴木傾城 2018年3月15日 鈴木傾城(アルファブロガー) MONEY VOICE
フィリピン妻は結婚できない中年男を幸せにするか? 奇跡の婚活、夢の果てに=鈴木傾城 2018年3月15日 鈴木傾城(アルファブロガー) MONEY VOICE 結婚できない日本人中年男性が、東南アジア女性を妻にする。資本の論理が働く婚活市場で、これは極めて経済合理的な選択の「はずだった」。どういうことか?「一発逆転」は可能なのか?資本の論理で読み解く婚活の現実53歳で迎えた人生の春フィリピン女性と結婚した、ある日本人男性について話したい。この男性は神奈川県の中学校を卒業した後、国内の大手自動車メーカーの工員として働いていた。主に部品を作る機械工だったが、地味で真面目で優しい男だった。低学歴であったことから収入はそれほど多くなく、真面目すぎる性格で30代を過ぎても結婚できなかった。40代も過ぎたある時、彼は同僚に連れられてフィリピン・パブに足を踏み入れた。異国の若く美しい女性が楽しく盛り上げてくれ、彼はすっかりフィリピン女性に夢中になった。そしてフィリピン・パブにあしげく通うようになり、仕事を機械工から警備員に変える中で、やがてひとりのフィリピン女性に恋するようになった。彼は一途に彼女のところに通い、多額のお金を彼女に渡して愛を囁いた。日本女性は彼を見向きもしなかったが彼女は違った。優しくその愛を受け入れた。2005年のある日、彼はこのフィリピン女性と結婚することになった。彼は53歳、彼女は38歳の時だった。やがて、ふたりの間に子供ができたが彼女はフィリピンに帰国して彼だけが日本で働き、たまにフィリピンに行けば彼女にせっせと生活費を渡していた。その額は100万円の時もあった。やがて彼は61歳になった。仕事を辞めて愛する妻子がいるフィリピンに渡った。これから夫婦で一つ屋根で楽しく暮らすはずだった。しかし、彼に待ち受けていたのは何だったのか。日本人女性には見向きもされないところで、この日本人男性は53歳でフィリピン女性と結婚したのだが、それまで一度も結婚したことがなかった。彼は真面目で優しく一途な性格ではあったが、女性を前にして気の利いたことが言えるわけでもなく、女性をとろけさせるような容姿を持っているわけでもなかった。学歴もなく、低賃金で、前途洋々なる将来が約束されているわけでもなかった。彼が結婚できなかったのは、彼自身が奥手だったということもあるが、日本女性は油にまみれて車の部品を作る真面目な機械工など見向きもしなかったからでもある。かつての日本は、結婚に不利な立場の男性であっても普通に結婚できた。結婚するのは当たり前の社会で、年頃の男女がいたらまわりが世話を焼いて見合いで結婚させたからだ。たとえば1965年の日本では「50歳になった時点で結婚しておらず、さらにそれまで一度も結婚したことのなかった男性」は、わずか1.5%にすぎなかった。つまり、98.5%は結婚していた。しかし、この割合は年代が上がるにつれて、どんどん下がっていった。自由恋愛が当たり前になり、女性が仕事を持つのも当たり前になり、価値感も多様化し、結婚するだけの人生がすべてでなくなっていったのだ。結婚率は下がる一方となり、2015年は50歳時点で一度も結婚したことがない「生涯未婚」と呼ばれる男性の存在は、なんと23.4%に急上昇していた。真面目な機械工の彼は、ちょうどそんな生涯未婚が増えていく時代にあって、日本女性からは度外視されていたのだった。彼がフィリピン・パブに足を踏み入れてのめり込んでいくのは1990年代だが、生涯未婚率が急上昇していくのも1990年代からだ。1990年代には何があったのか……。40歳を過ぎると結婚は絶望的1990年代と言えば、バブルが崩壊して就職氷河期が訪れて貧困と格差が広がっていった日本社会の転換点にある。この時代に、明確に「結婚をしなくなった男たち」が増え始めた。ところで、女性の生涯未婚率も上がっているのが、急角度で増え始めたのは2000年代からである。結婚適齢期の男たちが就職氷河期で経済的にダメージを受けるのを見届けて、女性も結婚をしなくなっていったと見ることもできる。結婚はどんどん晩婚化していき、総務省統計局「国勢調査」の2015年版では30歳から34歳の年齢階層でも「男性の47.1%が結婚していない」というデータが出ている。そして35歳を過ぎると、どうなるのか……。35歳を過ぎると、結婚は極度に難しいものになる。5年後までに結婚できる確率は急激に減って10%にまで落ちていく。40歳を過ぎればさらに結婚相手が見つからなくなり、5年後までの結婚確率は5%以下になる。結婚する年齢は年々遅くなっているのだが、何歳になっても結婚できるというわけではない。これは普通に考えても分かることだが、年齢がいけばいくほど結婚は難しくなる。一般的な話をすれば、35歳を過ぎれば結婚したいと思っても相手が断ってくる。男性は女性の年齢と外観で結婚相手を選んでいるのは、各種の婚活サイトで分かっているのだが、多くは20代の女性をターゲットにしている。では女性はどうなのか。女性も相手の年齢を見ているのだが、重視しているのは年収であったりする。では、女性が求める年収というのはいくらなのか。結婚相談所では7割以上の女性は「結婚するなら年収1000万円以上の男がいい」と最初に言う。そして年齢は「どんなに歳を取っていても30代前半の男性」と指定する。「並以下の男」とは結婚したくない日本人女性大手結婚仲介サイト「オーネット」のマーケティング部長であった西口敦氏は「30代前半の独身男性で年収1,000万円以上というのは日本にはわずかに0.14%しかいない」と、著書『普通のダンナがなぜ見つからない?』に記している。日本の男性の平均年収が約400万円であるのだから、結婚相手は400万円台の年収の男を捜すのが現実的だ。しかし、「それであれば結婚したくない」と日本の女性たちは本音で思う。つまり、結婚仲介サイトでもそうした男は見向きもされない。ここに「理想の相手」に対する深刻な現実無視と、ミスマッチと、断絶が存在する。結婚相手を「スペック」で選ぶ時代へ男性はすでに相手にされなくなった20代の容姿の良い女性を探し求める。女性は年収1000万円以上、そうでなければ800万円以上、妥協して600万円という希少種を探し求める。そして互いに相手が見つからず、妥協もできず、そしてあきらめる時代になっている。男女共に、現状認識がしっかりとできていないのである。今は結婚相手をスペックで選ぶ時代と化した。だから、少しでもスペックから外れた男たちは「結婚」の対象から弾き飛ばされて相手にされない。若い男女を無理やりセッティングさせて結婚させる見合いも消えて恋愛至上主義になっており、恋愛に貪欲になれない男女がやはり取り残されていく。そうやって多くの日本人男性が日本人女性をあきらめた。妙な話だが、日本人男性にとっても、日本人女性は「高嶺の花」になっていったのだ。結婚に絶望した日本人男性が向かう先1990年代からそうなったのだが、実はその時、わずかな活路で現れていた光明があった。どこにあったのか。それが「アジア女性」だった。1980年代から日本の国富に羨望の眼差しで見つめていたのは、周辺国のアジア女性だった。その中でも、特に出稼ぎに抵抗のないタイ女性やフィリピン女性が、大挙して日本に押し寄せてきていた。この時代、日本人は彼女たちを「じゃぱゆきさん」と呼んだ。日本の安月給が、フィリピンでは高給取り1990年代から2005年まで日本の国際結婚は増え続けていた。この時代、日本の底辺ではフィリピン女性が年間約8万人も流れ込んできていた。このフィリピン女性が、日本で次々と日本人男性と結婚していたのである。フィリピン女性だけではない。タイ女性も、中国女性も、韓国女性も、こぞって日本人男性と結婚していった。日本は世界有数の経済大国であり、日本人男性は金持ちのシンボルであり、彼女たちにとっては一種のブランドだったのだ。今もその名残りは残っているが、1980年代から1990年代の日本人男性のモテぶりは尋常ではなかった。だから、選り好みする日本人女性に弾かれた男たちの一部は、歓楽街でたまたま出会ったアジア人女性の熱烈な歓迎に驚き、そしてそこに希望を見出したのだ。年収300万円の男性は日本では低い部類に入って日本女性から見下されるかもしれないが、他のアジア女性にとってはその300万円も”Very big money”(大金)だったのである。若く美しい彼女たちは、嬉々として日本人の男と付き合った。気付かないまま奇跡の「0.74%」に入っていた真面目な機械工だった「彼」も、そうした日本ブランドを背負ったひとりであったと言える。40代に入って彼は初めてフィリピン・パブで自分を羨望してくれる女性に出会い、そしてのめり込んでいった。熱帯の女たちの弾けるような身体、熱い気質、些事にこだわらない天真爛漫な性格、ホスタビリティ、素朴さ。そして、全身でぶつかってくるような情熱。もう彼の目には日本女性の姿など消えていたはずだ。53歳で結婚できる確率は、国立社会保障・人口問題研究所の男性の初婚率を見ると「0.74%」である。つまり1%以下だ。もし、真面目な機械工だった「彼」が日本人女性を結婚対象に考えていたとすると確率は1%以下なのだから、ほぼ絶望的だったと言える数字でもある。しかし、彼は自分自身でまったく気付かないまま「0.74%」に入るという、とんでもない奇跡を成し遂げていた。「格差」を利用すれば、日本人男性の価値を高められるもし、冷徹な観察眼で真面目な機械工だった彼の人生を見るのであれば、彼が知らずして「現代グローバル社会の基本的なトレード戦略」を行ったことに気付かなければならない。グローバル社会の基本的なトレード戦略とは「格差を利用すること」である。多くの企業はグローバル化に邁進しているが、その理由は「グローバル化が利益をもたらすから」である。その基本的なトレードは、「賃金の安い途上国で作らせて、賃金の高い先進国で売る」というものだ。そうすると、取れる利益が増大する。格差を利用して利益を得る。格差は是正するのではなく、極大化させる。そうすれば利益はより増大する。グローバル化の時代が止まらない理由と、格差が拡大するのを実は放置されている理由がここにある。現代の弱肉強食の資本主義は「格差はあった方が儲かる」のである。そうすれば、トレードの効果による利益はより増大するからだ。機械工だった彼は、知らずして結婚にこのグローバル化の基本戦略を使った。すなわち、「グローバル化によって生じた経済格差」を利用して結婚相手を見つけたのだ。日本の平均年収が400万円だとすると、300万円の年収は「低すぎる」ということになるが、途上国ではまったくそうではない。だから、結婚相手を途上国の相手にするというのはいかにも現代的な手法となる。しかし、結婚と幸せは別問題であることは注意する必要がある。外国人と結婚するというのは、ありとあらゆる問題が一度に押し寄せてくることでもある。食生活の問題、生活習慣の問題、文化の問題、ホームシック、家族親戚の問題、差別の問題、言葉の壁、金銭感覚、経済観念、価値感の違い、子供の問題……。これらすべてに対処しなければならないのである。では、「彼」は幸せになったのだろうか。フィリピンで迎えた悲しい結末彼は53歳でフィリピン女性と結婚し、61歳まで日本で必死に働いて稼いだ金をフィリピンの妻子に送り続けてきた。彼女は何かと「金が足りない」とねだってきたが、彼は妻子のために文句も言わずに金を渡していた。フィリピンで夫婦水入らずで暮らせるのを夢に見ながら、彼は彼女に金を送り続けた。そして、61歳。彼が長らく夢見てきたその日々は確かに実現したのだ。しかし、それはほんの数ヶ月の間だけだった。フィリピンの妻の家に着いてから3ヶ月後、彼はカビテ州ダスマリニャス市サンタルシアの路上を歩いている時、何者かに後ろから拳銃で撃たれて路上に大量の血液を流して死んでいった。即死だった。彼を殺したのは雇われた殺し屋だったが、その殺し屋を雇ったのは誰だったのか。他でもない。彼が一途に愛していた「妻」だった。彼女が殺し屋に払った金額は約22万円である。フィリピン女性も弱肉強食の資本主義を利用したなぜ彼は殺されたのか。彼が死ねば、その遺族に対して子供が18歳になるまで日本から遺族年金が支払われるからだ。遺族年金は、死亡時に生計維持関係のある配偶者であれば「国籍を問わず」請求することができる。つまり、彼が惚れたフィリピン女性もまた「格差を利用する」という弱肉強食の資本主義を利用していた。資本主義の世界で耳を澄ますと、聞こえてくる声は愛ではない。金だったのだ。フィリピン女性を愛した日本人が弱肉強食の資本主義の中で迎えた結末は、ひどく苦く残酷なものだった。