小出裕章「騙されたあなたにも責任がある」(幻冬社)・・・・・読んでください
2012-11-11発信分--------------------------------------------------------------小出裕章「騙されたあなたにも責任がある」(幻冬社)・・・・・読んでください 先日、反原発のリーダーの一人である、小出裕章(京大熊取原子炉実験所)さんが書かれ、出版された「騙されたあなたにも責任がある」(幻冬社)・・・・・・・題名に強く惹かれて、一気に読破しましたが・・・・・僕が、以前から、思っていた通りの内容に、思わず納得!!今の原発政策を(選挙などで)容認してきた、日本国民が、今ごろ、事故が起こってから、「放射能・・・放射能・・・」と、あわてふためいている現状は、なんとも、自分勝手て、見苦しい・・・と、ぼくは、つねづね思っていました。震災ガレキの受け入れについても、同じこと。この地震大国・日本に50基以上もの危険原発を 容認してきたのは、まさに、選挙で彼らを選んできた 我々日本人なのです。 事故は、起こるべくして起こりました。反省も含めて、我々は、復興に向けて、最大限の支援を続け、痛みを分かち合うべきだと思っています。 そのことは、「一億総ザンゲ」を意味するものでなく、東電・歴代政府の失策を免罪するものでは、ありません。大きな責任は、東京電力などの電力資本、それと一心同体の(先鞭をつけた中曽根以後の)歴代政権にあることは、明らかでは、あるが、その歴代政権を選び、支えてきた我々、日本国民の責任も、厳しく 問われなければならない・・・・と思っていました。 震災ガレキの受け入れについては、実は、我が家でも、ささやかな?「大論争」が起きました。 震災ガレキ受け入れ反対派の妻の言い分は・・・・よく言われる「放射能の拡散に反対」につきます。 東北の復興は、強く支持しながら、自分たちの町の中に、放射能が持ち込まれることには、反対・・・!! 受け入れを「容認」でなく、強く「賛成」するのは、僕。少しぐらいの放射能の受け入れなら、置かれている我々の状況を考えれば、当たり前のことと。丁寧な、線量測定と平行して、一定の線引きのもと、積極的に、各地で受け入れることが、東北の復興に つながる。 「震災ガレキは、復興の妨げには、ならない」と断言する、友人の新社会党員の主張は、論外としても、急速なインフラ整備なくして、復興の基礎作りができないのであれば、多少の放射能は、目をつぶるしかない・・・・これは、極めて真っ当な話である。 小出氏は、本の中で、「ガレキも、食べ物と同様、日本国民がみんなで、受け入れるしかないのです。」(6ページ)「繰り返しますが、『騙された人には、騙された責任がある』のです。」(6・194ページ)これが、大前提です。 「放射能の拡散」を支持する者など、いないと思う。当たり前の話だ。 小出氏も、次の世代を担う、子どもたちは、できるだけ放射能汚染の低い食事を心がけるような配慮(たとえば、学校給食の食材など)を 社会の責任において、なされるべきだと主張されている。これも、至極、真っ当な話。次世代を担う子どもたちに、極力、放射能の影響を 少なくするべく、配慮しなければならない。 同時に、日本中、程度の差はあれ、今回の事故で、多くの国土が汚染され、食物にも放射能が入り込んでいる現実を、我々日本人は、正面から、受け入れなければならないし、当然のことながら、内部被爆は避けられない・・・・これは、当たり前の話。逃げることは、できないということです。 内部被爆・外部被爆あわせて、年間1ミリシーベルトの線引きは、過去のものであって、いつまでも、これにしがみついていては、復興は、前にはすすみません。フクシマ近辺の市町村の避難住民は、遠くない時期に、自宅に戻れるかのような幻想を 政府は振りまいてきましたが、これは、間違いで、はっきり、(半永久的に戻れません)と言うべきなのです。それほど、現地の汚染状況は、ひどいものです。 ロシアのような広大な土地のある国なら、まだ、避難住民の受け入れ地域もあるだろうけれど、島国ニッポンのような狭い国では、避難住民を受け入れる土地も限られている。地震大国・島国ニッポンに、危険極まりない原発を50基以上もつくるなんて、狂気の沙汰としか、思えないのに、それを、力及ばず、許してきた我々、日本国民は、狭い土地を融通しあって、汚染された食物を、なるべく少なく食べて、生活の基礎づくり=復興に向けて、助け合っていかねばならないと思う。 (何が何でも放射能は、イヤ)というなら、日本脱出しかない。多くの国民は、日本に住み続けることになるのだから、現実から、かけ離れた絵空事を、叫んでも、何の益も無い。小出氏は、「もう、すでに、3月11日で、世界は、変わった」(46ページ)を言われ、飯館村の汚染は、チェルノブイリ事故で住民避難が実施された地区に含まれるレベルということです。25年経った今も、彼らは、「帰宅」を果たしていません。 「学校の校庭」とか、幼稚園の園庭」など、局地的な「除染」は、可能だが、山野を含めた全面除染は、不可能であると、断じておられます。 「本当に、お気の毒ですが、何十年、あるいは100年、200年という単位で帰れません。一人の人間から見れば、もう一生です。」(112ページ) 事故によって、日本全国に撒き散らされた放射性物質が、どんなに危険だと恐れても、「それらすべてを拒否するということは、私たちには『許されない』というより、『できない』のです」(155ページ)「汚染された食料は、これから、どんどん出回ってくることになります」(同)氏は「こうなった以上、仕方がないので、責任のある人たちが、責任の重さに応じて、汚染した食べ物を、食べるような仕組み」を(実現性は無いが)提案されている。 同時に、「この事故を見逃してきた日本人の大人というものも、それなりの責任があると思います。ですから、大人の人は、甘んじて、汚染食品を受け入れてください」(156ページ)と言われる。 僕は、極めて、正当な、筋の通った話だと思います。 誰しも、汚染物質を好む人間は、いません。しかし、多少の汚染された食物は、(将来の短い!)大人たちが、引き受けざるをえないだろうと思います。というより、すでに、引き受けているハズです。国土全体が、汚染されているのだから・・・・・ それが、現実なのだ。それを認めようとしない一部の運動家が、この時点で、なお「放射能の無い食べ物」という幻想を持ち、また、「放射能に汚染されたガレキ」は、拒否するという。 以前、今年4~5月ごろ、私の友人で、岩手・宮城の震災ガレキ受け入れ反対派の池田氏(故人)とメールでやり取りしたことがあった。今、このメールを読んでいる人には、資料として、そのときのメールも、お送りしているはずだから、覚えておられると思う。 岩手・宮城の震災ガレキの受け入れに当たっては、当然のことながら、放射性物質の拡散を少しでも少なくする為のも、充分な計測を踏まえて、低線量のガレキに絞るとかの配慮の必要性と合わせての積極的な「受け入れ」は、インフラ整備と復興に、大いにプラスであると、今でも考えている。 震災ガレキについて、1キログラムあたり、セシウム100ベクレル以下、なら、再利用できるという、環境省の方針については、小出氏は、「どこかで、線引きするしかないでしょう。私は、かなり低いほうの値だと思います。今のような、非常事態であれば、その程度のものは、我慢せざるをえないのは、現実でしょう」(59ページ) 「木を見て森を見ない」一部の運動家の「なんでも反対」は、昔の社会党と同じで、後ろ向きの議論ばかりで、有害でさえあると思う。「放射能は怖い」と煽るばかりで、鬼の首でもとったかのように言う、一部の運動家には、ちょっとね・・・・・・・ 小出氏の本を読んでいると、排気系統に専用のフィルターをつければ、かなりの「問題」が、解決するような記述が あったが(62ページ)、実際には・・・・どうだろうか? データを、多く出してみて、判断されているのだと思うが、フィルターの有効性については、専門家の間では、疑問の意見も多いと報道されているが・・・・??? 以上、とりとめも無く、書いてみました。ご批判乞う。