1994年のジミー・カーター訪朝 2010-8-29 島田洋一ブログ
日本のリベラルたちは、歴史から、何を学んだか? この情報は、示唆的だと思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――1994年のジミー・カーター訪朝 2010-8-29 島田洋一ブログ 米保守派の間では、ジミー・カーターはしばしば「合衆国史上最悪の大統領にして、最悪の元大統領(the worst ex-president)」と揶揄される。在任中の無為無策もひどかったが、退任後の独自宥和「外交」もひどいという意味である。 以下、北朝鮮の秘密核開発をめぐって1994年に危機が最高潮に達した朝鮮半島第1次核危機の際のカーター訪朝について、拙著から引いておく。 「特使」カーター訪朝 事態が制裁実施に動き出し、軍事的衝突の可能性も高まるにつれ、一方で、この際過去の経緯にとらわれず、再処理凍結など譲れぬ線を明示した上で、北との包括合意交渉に入るべきだという声も民主党議員などの間から高まってきた。 クリントン政権も、金日成と何らかの意思疎通を図る必要は感じていた。五月二十日、大統領の指示で、ペリー国防長官、クリストファー国務長官、レイク大統領補佐官(国家安全保障担当)が会合をもち、米側提案を携えた政府特使を北に派遣するという方針を決める。 特使としてまず名前が挙がったのは、サム・ナン上院軍事委員長(民主党)とリチャード・ルーガー上院外交委員会委員(共和党)であった。いずれも安全保障分野で大きな発言力をもつ有力議員である。ニューヨーク・チャンネルを通じて北に打診したところ、前向きの感触が得られたとして、国務省を中心に準備作業が急ピッチで進められた。 両議員は、二五日午後、ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着し、いつでも搭乗できる状態で待機していたが、夜九時ごろ、北から、無期延期を求める電話が入り、計画は土壇場で中止となる。 二人は、基本的に制裁に賛成の立場であり、北にとっては厳しい交渉が予想された。特にナンは、安全保障問題における原則論者として国防総省筋の信頼が厚い人物であった(ルーガーは国務省が推薦)。おそらく北側としては、もっともリスクの小さい交渉相手、すなわち、制裁に反対の立場を明らかにし、話し合い解決を主張してきたジミー・カーター元大統領に、的を絞り込んだということだったろう。 これより先、金日成は、NHKの質問に書面回答(四月十八日付)した中で、「アメリカが前提条件なしにトップレベル会談に応じさえすれば、問題は解決できる」と述べていた。カーターも同じように、お互いが友好的雰囲気で話し合い、「誤解」を解けば、おのずと妥協点は見いだせるとの認識をたびたび明らかにしていた。 六月四日から十一日まで、北朝鮮は、セリグ・ハリソン・カーネギー国際平和財団研究員を平壌に招き、黒鉛減速炉の凍結、軽水炉の代替供給など、具体的な諸点について、詰めた協議を行った。 ハリソンは、北では「秘密裏の改革」が進行しており、外部が適切な支援を行うことで改革開放に導けると説き続けてきたアメリカにおける「太陽政策」派を代表する人物である。カーターとの会談を控え、事前に着地点を探るための作業といえた。 北は、ブッシュ・シニア政権時代の一九九一年、すでにカーターに対し訪朝招請状を出していた。その後、一九九三年一月にも許鐘(ホジョン)国連大使を通じ、招請の意向を伝えていた。カーター自身は当初から乗り気だったが、ブッシュ政権、クリントン政権とも計画に難色を示し、実現には至っていなかった。カーターは、韓国で受けが悪いというのも理由の一つであった。 が、危機が進行する中、クリントンは、事態の話し合い解決に向け、最後に残ったカードとしてカーター訪朝にゴー・サインを出した。 あくまで私人としての訪問とされたが、レイク大統領補佐官の指示で、ガルーチが数度にわたってカーターへの事前レクチャーを行い、朝鮮語に堪能なリチャード・クリステンソン朝鮮課長代理が同行するなど、明らかに米政府が深く関与したものであった。 六月十五日、カーターは軍事境界線を越えて平壌に入る。金日成との会談は、核問題を中心に、二日間、延べ十時間に及んだ。金日成のかたわらには、姜錫柱(米朝高官協議主席代表)が常に補佐役として付き添っていた。 この間、ワシントンでは、六月十六日朝から、ホワイトハウスに大統領以下幹部が集まり、対北朝鮮政策をめぐって大詰めの協議が行われていた。 国連安保理で制裁決議を推進することが再確認され、在韓米軍部隊を一万人以上増強するという統合参謀本部の案も諒承された。韓国からの民間人引き上げについても、早急に具体的手順を詰めることになった。この時点で韓国には、将兵の家族やビジネスマンなど約八万人の米民間人が滞在していた。 午前十時半頃(米東部時間)、平壌のカーターから、ホワイトハウスに電話が入り、ガルーチが応答に立った。金日成との会談は順調に進み、大きな前進が得られた、まもなく同行していたCNNスタッフとのインタビューに応じる、との内容だった。 ゴア副大統領、クリストファー国務長官、ペリー国防長官、シャリカシュビリ統合参謀本部議長らが、思い思いの格好でCNNのライブ中継に見入る中、画面に登場したカーターは、金日成がIAEA査察官の駐在継続に同意し、米朝協議が続いている間、使用済み燃料の再処理を凍結すると約束した、これは「非常に重要かつ前向きのステップ」であり、米側はただちに高官協議を再開すべきである、そして「米政府が安保理制裁決議に向けた働きかけを停止した」旨、自分から金日成に伝えておいたと語った。 が、米政府は、この時点ではまだ制裁案推進という立場を変えておらず、カーター発言の最後の部分は明らかに勇み足であった。 後にカーターは、「停止という言葉を選んだのは不適切だった」「金主席が約束を実行すれば、制裁決議を行う必要はなくなる」との理解のもとで、「一時停止」の意味で、またあくまで個人的意見として述べたものと弁解している。が、おそらく制裁に向かう流れにブレーキを掛けるため、意図的に勇み足をしたものであろう。 関係者の証言によれば、直後にホワイトハウスを支配したのは、「私人」であるカーターに外交のイニシャティブを握られ、ライブ・インタビューというあからさまな形で政策転換を迫られることへの苛立ちと自嘲の念だったといわれる。が、結局、午後に再開された会議において、とりあえず韓国への米軍増派を中止し、米朝高官協議再開にも応じるなど、基本的にカーターが敷いたレールに乗って事を進めていく旨が決定された。 この間、ガルーチは姜錫柱に書簡を送り、カーターと金日成が合意した内容の「確認」を求めた。カーターが平壌滞在中に、ガルーチとレイクが電話で伝えた米側要求(北の盗聴を意識した上でなされた)を繰り返したもので、カーター自身は持ち出すことを渋った新規事項(次の第四点目)も含まれていた。 ガルーチから照会を受けた姜錫柱は、特に細部に関し争う姿勢も見せず、(一)IAEA査察官の滞在を認める、(二)軽水炉建設支援を条件に黒鉛減速炉を凍結する、(三)米朝協議継続中は使用済み燃料の再処理を行わない、(四)原子炉に新たな燃料棒を入れない、という四点を確認した。 これを受けて米側は、国連安保理における制裁決議推進の動きを正式に停止し、米朝高官協議を再開すると発表した。 カーター訪朝の評価 カーター訪朝と、それを契機とする米朝協議の再開と制裁決議案取り下げについては、「合理的な程度に危険を回避しようと考えるアメリカの政策決定者に、他の選択肢があったとは想像しにくい」(マーカス・ノーランド)、「面子を失わない形で引き下がる機会を北朝鮮に与えたもので、全体として訪朝は非常に有益だった」(ロバート・ガルーチ)というあたりが、アメリカにおける平均的評価といえよう。 が、批判的な見方も、少なからず存在する。 べーカー元国務長官は、クリントンの「一八〇度の転換」は、北の脅迫を前にして「パニックに陥った」もので、「われわれは国連安保理における制裁を追求すべきだったし、朝鮮半島における米軍をもっと増強すべきだった。そして、地域的なミサイル防衛システム計画に乗り出すべきだった」とカーター訪朝とその前後の動きに否定的評価を下している(New York Times, March 19, 1997)。 強硬派の有力コラムニスト、ラリー・ウェイマスも、カーターは、「事実上、朝鮮戦争を起こした野蛮な独裁者金日成の代弁人」と化しており、「カーター取引」の結果、いまや「アメリカは他の潜在的核保有国の目に、張り子の虎と映っている」と、ほぼ全面否定の論陣を張った(Washington Post, June 21, 1994)。 チャールズ・クラウトハマーも、論点の明確な批判論を展開している。 危機は終わったとカーターは言った。危機は終わっていない。北の核兵器獲得に向けた動きを阻止するため、やらねばならないことは何もなされていない。が、アメリカがやるべきことを妨害する行為は、カーターによって十分になされた。クリントンが、遅まきながら、おずおずと実現に向けて動き始めた制裁は、今や、そしておそらく永遠に、息の根を止められた。アメリカがまとめ上げようとしていた国際的な連帯は、行き場を失い混乱状態に陥った。 そして、各国に制裁を呼びかけながら、制裁反対の立場を明らかにしていたカーターを「地球上で最も誇大妄想的な暴君」のもとに派遣するという背信行為を働いたアメリカが、再び、制裁実施に向けて動いても、おそらく付いてくる同盟国はないだろうとしている(Washington Post, June 24)。 カーターは対北制裁に関して、北のような特殊な国に対しては「制裁の脅し」は「逆効果」であり、「北朝鮮にとって、無法者国家の烙印を押す侮辱として受け取られるだろう。また彼らのいわゆる偉大な指導者に、嘘つき、犯罪者の烙印を押す個人攻撃と見られるだろう。私の考えでは、これは彼らにとって受け入れがたいことだ」と述べている(六月十八日、ソウルでのインタビュー)。 「制裁の脅し」なしに交渉を進めていれば、はるかにスムーズに話し合い解決に至ったはずというのがカーターの見方である。が、過去の事例に鑑み、制裁の圧力なしに、果たして北が再処理施設や黒鉛減速炉の凍結に同意したかどうか、大いに疑問といえよう。 ガルーチも後に、カーター訪朝の前にクリントン政権が外交的軍事的に強い姿勢を見せたことで、「はるかによい形で、交渉に入っていくことができた」と振り返っている(Watkins, Rosegrant, p.101)。 なお、北が五月に原子炉から抜き取った使用済み核燃料は温度がもう少し下がらないと安全にプルトニウムを分離できないため、金日成がこの時点で再処理を凍結し、“冷却期間”を置こうとするのは当たり前のことで、何ら譲歩と見なすべきではない、という指摘も、この時期多くの人々が行っている。 その一人、キッシンジャー元国務長官は、「北は、そもそも初めからしてはならなかったことをやめるのと引き換えに、アメリカによる国家承認、朝鮮半島における核不使用の保証、そして経済援助プログラムのようなものを求めてきている」とし、「イラクと北朝鮮における過去の経緯をみれば、簡単に抜け穴を見いだせることが明らかな部分的『補償措置』への復帰」ではなく、「米朝関係改善は、すべてのサイトに対するIAEA査察の全面的受け入れ、過去の検証、核防条約への復帰が大前提となる」旨はっきり伝えるべきだと強調している。そして今後は、「明確なタイム・リミット」を設けて外交交渉に当たるよう注文を付けた(Los Angels Times, July 6)。 制裁実施となれば、その渦中に置かれることになったはずの日本政府、韓国政府、中国政府は、いずれも米朝協議再開を歓迎する内容のコメントを出した。 こうした状況下、クリントン政権は、北に「交渉」という名の時間稼ぎを許してはならないという国内強硬派からの突き上げを受けつつ、「カーター取引」の具体化を急ぐことになる。……