金正恩と大阪を結ぶ奇しき血脈(3)日本への「凱旋」と「国母」の夢 2015年12月14日 高英起の無慈悲な編集長日誌,
金正恩と大阪を結ぶ奇しき血脈(3)日本への「凱旋」と「国母」の夢 2015年12月14日 高英起の無慈悲な編集長日誌, 日本の舞台で華麗に舞った「金正日の女」日本から北朝鮮へ帰国し、万寿台芸術団のメンバーとなった高ヨンヒは、当時スター舞踊手だったパク・エラを押しのけて、1973年の日本公演の主役に大抜擢された。この裏には、後継者の地位を得たばかりの金正日の配慮があった。こうして高ヨンヒは、今でも在日朝鮮人の間で語り草となっている「万寿台芸術団来日公演」のメンバー、それもいくつかの演目の主役として生まれ故郷への「凱旋」を果たす。当時、7才だった筆者は、朝鮮総連に所属していた亡父と共に公演を訪れているが、残念ながら高ヨンヒの華麗な舞については、まったく記憶にない。公演後、高ヨンヒは金正日の「側室」として迎えられる。一方、高ギョンテクは平壌の「万景台記念品工場」顧問支配人の地位を得た。この工場は金日成や金正日からの贈り物を製造しており、その支配人ともなれば、異動もなく労働党の幹部クラスの待遇だという。娘は最高指導者の「側室」、父は最低ランクの工場労働者から最高峰の工場支配人へ。こうして父娘は「出世街道」を登り詰めるが、高ギョンテクは1999年に鬼籍に入る。実妹は米国へ亡命、高ヨンヒは客死金正日の「側室」として寵愛を受けた高ヨンヒは、正哲(ジョンチョル)、正恩、与正(ヨジョン)の2男1女を生む。1997年には、ともに日本から帰国した妹の高ヨンスク(※高英淑)が夫婦でスイスから米国へ亡命する事件が起きるが、よほど金正日に愛されていたのか、高ヨンヒは何ら咎めを受けなかったようだ。3人の子どもを生んだ高ヨンヒが、次に狙ったのは国母の地位だったのかもしれない。しかし、彼女は2004年にロシアで客死。その6年後の2010年に後継者として公式登場する愛息・正恩の晴れ姿をみることなくこの世を去った。元在日朝鮮人で、父親は日本軍の協力者。金正恩の偶像化という側面から見れば、まことに厄介な二人の経歴だが、当時の在日朝鮮人として決して珍しくはない。誤解を恐れずに書くなら、高ギョンテクや高ヨンヒの「負の経歴」は、それも含めて在日朝鮮人の歴史だ。日本の植民地支配によって海外に出て行かざるをえなかったが、もう一度祖国へ帰って人生を築きたいーーそんな希望と夢を抱き、北朝鮮へ渡った帰国者たちの足跡そのものなのである。二人の人生、そして帰国者たちの足跡を闇に葬り去ることは、在日朝鮮人の血と汗と涙の歴史に対する冒とく、さらに「白頭の血統」への冒とくでもある。金日成・正日親子も「海外組」北朝鮮で生まれ育っていない——つまり「海外組」という出自を理由に、帰国した在日朝鮮人の大勢が、差別と抑圧を受け、粛正によって命を落とした。しかし、それを主導した張本人である金日成こそが、実は「海外組」の元祖である。金日成は14才の時に、父・金亨稷と共に北朝鮮を離れ中国吉林省に移住した。当時、大勢いた中国・朝鮮族の一人といえよう。そして、45年の解放後に、北朝鮮へ帰国した「海外組」である。さらに、金正日もロシア生まれで解放後に帰国した。ここにも、在日朝鮮人の歴史に通じるものがある。それにも関わらず金日成、金正日親子が、海外組というだけで在日朝鮮人を故なく迫害した。そして、金正日は「海外組」である高ヨンヒを妻に選び、結果的に海外組の血が流れる金正恩が「白頭の血統」の継承者となった。北朝鮮が金正恩の実母の出自をひた隠すのは、「白頭の血統」が「海外組」の歴史そのものだからではないのか。存在感を強める妹・金与正金正恩は、在日朝鮮人の高ヨンヒ、「犯罪者」で「親日派」だった外祖父・高ギョンテクという二つのアキレス健を抱えながら、「金氏朝鮮」を確立しなければならないのだ。王朝体制の確立を見据えてか、2015年に入ってからは妹・与正が正恩の現地指導に頻繁に同行している。2013年に処刑された張成沢の妻・金慶喜(キム・ギョンヒ)氏が、兄の金正日氏を支えたように、与正が正恩を支えていくのだろう。しかし、北朝鮮体制の行方を左右する正恩・与正兄妹が、在日朝鮮人の高ヨンヒから生まれたことは逃れられない「事実」である。白頭の血統を継承していかなければならない二人が、自らの出自を受け入れる覚悟があるのか、それとも忌み嫌っているのか、是非聞いてみたいものだ。最後に極めて私的な話で、金正恩の出自にまつわる秘話を閉じたい。高ヨンヒにまつわる謎を解き明かすため、筆者は彼女の出自に関する資料を追い求めた。入手できた数少ない資料は、隅から隅まで徹底的に調べ上げた。そのなかで、もうひとつ興味深い事実が明らかになる。筆者の姓は「高」だ。亡父は戦中に済州島から大阪へ渡ってきた。この島は狭いがゆえに、血縁の結びつきが強く、それぞれの「高家」の由来を記した「族譜」という家系図がある。もちろん高ヨンヒの族譜も入手し、調べ上げた。勘のいい読者なら、もうおわかりかと思う。族譜を辿ると15世紀の先祖を始祖とする一派の家系図に、高ヨンヒの父・高ギョンテクと、筆者の亡父の名前が、同じ世代の欄にしっかりと記されていた。つまり、筆者と金正恩は「家系図上」では遠縁にあたる。もっとも、筆者以上に金正恩と近い血縁関係にある在日朝鮮人が、今も日本に存在する。彼らは、とっくに自分たちと金正恩の関係に気づいている。そう、済州島—大阪、そして平壌を結ぶ血脈は、決して消え去ることはないのだ。