徴用工像は「第二の慰安婦像問題」か、日韓の火種化懸念 2017-4-11
この丹波マンガン記念館には、去年の6月に、僕たちは、訪れたことがある。 マンガンは鉄に混ぜて硬度を高め、戦車や戦艦、大砲などを作るために必需品だった。 しかし戦争の激化に伴い国内では働き手の成人男性が不足し、政府は朝鮮半島に労働力を求めた。 最盛期の太平洋戦争前後には、一帯で約3千人の朝鮮人が働いていたとされる。発破の粉じんによるじん肺で、長年苦しんだり亡くなったりした労働者も多いという。 記念館を作った故・李貞鎬さんの両親は、日本の植民地支配で田畑を奪われ、仕事を求めて来日したという。「力ずく」ではないものの、 やむにやまれずに日本に渡った朝鮮半島出身者も少なくないとされる。貞鎬さんは「これも強制連行の一種だ」と話していたという・・・・これも、一理はある。 在日1世の故・李(リ)貞鎬(ジョンホ)さんが1989年、自ら経営した、このマンガン鉱山で、多くの朝鮮労働者が過酷な労働環境で、 仕事をしたという事実は正しいが、それだからと言って、「強制徴用労働者像」というのは、どうなんだろうか? 海峡を渡ってきた半島の人たちの「渡日の理由」は、(強制連行)は、圧倒的に少ないということが、わかっているからだ。 戦後、このような「強制連行神話」が、リベラル派の中で、裏付けなし、検証なしに、オウムのように繰り返して、再生産され、拡散されたことは、不幸な事であったと思う。 先日、お知らせした、「アボジ聞かせてあの日のことを」1988年2月20日、在日本大韓民国青年会中央本部発行」に詳しい調査結果が発表されており、 「強制」以外の様々な理由で、多くの半島の人たちが渡日している。 そのいくつかを挙げると、「渡日に至った理由」については、「経済的理由」が、39.6%、「結婚・親族との同居」が17.3%、「徴兵・徴用」13.3%、 「留学」9.5%、「その他」20.2%、「不明」0.2%となっている。 「徴用」は、どのように行われましたか」という問いに対して、「自発的に」17.7%、「どちらかというと自発的に」が、22.0%、 「どちらかといえば強制的に」が、21.3%、「強制的に」が37.6%、「不明」1.4% だった。 はっきり指摘しておきたいことは、この「アボジ聞かせてあの日のことを」を出版した民団青年会は、朝鮮総連ほどではないが、 「強制連行」糾弾意識を相当程度持ち合わせていた、民団の青年組織であり、それだけに、この取り組みの中身の客観性、意外性に、信頼がおけると思うのである。 この李貞鎬さん(「じん肺による呼吸不全」で、1995年に死亡、当時62歳)の死後、息子の李龍植さん(1960年生まれ)が 李貞鎬さんの遺志を引き継いで館長となって運営にあたっている。 この「丹波マンガン鉱山」についての本は、何冊か出版されている。 この李貞鎬さんの生きざまを中心に書かれている本が、田中宇(たなか・さかえ)というジャーナリストが書いた『マンガンぱらだいす』という本だが、 なかなか興味深かった。 また、息子の李龍植さん(1960年生まれ)が、この田中氏の本を批判して、『マンガン記念館の7300日』 を出版している。 こちらは、(被害者)という意識が強くて、やや主観的であるように、僕には、感じられた。 昨年の訪問時に、在日1世の故・李(リ)貞鎬(ジョンホ)さんの奥さんから、いろいろと昔の話を聞いたが、採掘労働の過酷さについての話は、 強く印象づけられたが、労働者の「強制性」については、ほとんど印象が残っていない。 在日一世、1,500人に対するかなり丁寧なアンケート調査の信頼性が伺えた。 前にも、書いたが、この『アボジ聞かせてあの日のことを』 は、絶版になっているが、読んでみたいと思われる方は(ぜひ読んでほしいが)、 地元の図書館が持っていなくても、(取り寄せ)は可能で、希望すれば、手に入り読むことができる。 僕は、大阪府立図書館から取り寄せてもらって、読むことができた。 また1冊丸ごとコピーしたので、希望される方には、すぐ、お貸しできますので連絡ください。 (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――