No.107 「従軍慰安婦」問題(下の1) ~ 仕掛けられた情報戦争 1999-9-25 国際派日本人養成講座(ブログ)から
No.107 「従軍慰安婦」問題(下の1) ~ 仕掛けられた情報戦争 1999-9-25 国際派日本人養成講座(ブログ)から 一部の日本人弁護士、ジャーナリストらが仕掛けた国際プロパガンダ。■1.強制を示す文書はなかった■ 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4)(前号)、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府の公式見解となった。 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、この文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によって「官憲等が直接に荷担した」と結論づけたのか? この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、次のような答弁をしている。[3,p204]__________ 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■2.総合的に判断した結果■ 資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があったという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。 __________ 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしてもなかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だったら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていったことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代償」「文塾春秋」平成9年4月)[3,p58] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「韓国側の強い要請」のもとで「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた」ものなのである。 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏は国会議員との会合で次のように語っている。 __________ もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれども、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こして大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこれに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなことがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この「いま申した人物」について、石原氏は「ある日本の弁護士さん」として、名前は明かしていない。 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。 __________ 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。(文芸春秋、H5.3 )[1,p302] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■ 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚きつけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやってきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5] 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もらえると宣伝している模様であった、と言う。 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。 __________ ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■5.慰安婦番組での仕掛け■ ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出てくるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、日本語の字幕で__________ 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、 __________ あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。