映画への招待「カティンの森」 おすすめです(はんぺん)
映画への招待「カティンの森」おすすめです(はんぺん) 場所・・・ピースおおさか(大阪国際平和センター) 住所・・・大阪市中央区大阪城2-1 TEL・・・06-6947-7208 最寄駅・・・JR環状線・Osaka Metro森ノ宮 展示は、2019年 03月 01日 ( 金 ) ~ 2019年 05月 12日 ( 日 ) ですが、 映画「カティンの森」の上映は、3/2(土)、3/9(土)、3/16(土)、3/23(土)、3/30(ど)の5回のみです。 上映時間 14:00~ ――――――――――――――――――――――――――――――――― 特別展「カティンの森事件―22,000人のポーランド人将校の行方―」 3/1~5/12(展示) 映画は5日間のみ http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/cmsfiles/contents/0000459/459466/tokuten.pdf 内容・・・第二次世界大戦中の1940年、約22,000人のポーランド人将校が消息不明となり、約3年後にその遺体が発見された「カティンの森事件」。戦後のポーランドでは語られず、1989年以降に真相が明らかになったこの事件を紹介する。 開催期間・・・2019年 03月 01日 ( 金 ) ~ 2019年 05月 12日 ( 日 ) 開館時間・・・9:30~17:00 ただし入館は、16:30まで 休館日 月曜日 入場料 大人250円、高校生150円、65歳以上・障がい者の方・小中学生は無料。 場所・・・ピースおおさか(大阪国際平和センター) 住所・・・大阪市中央区大阪城2-1 TEL・・・06-6947-7208 最寄駅・・・JR環状線・Osaka Metro森ノ宮 展示は、2019年 03月 01日 ( 金 ) ~ 2019年 05月 12日 ( 日 ) ですが、 映画「カティンの森」の上映は、3/2,3/9,3/16,3/23,3/30のみです。 ―――――――――――――――――――――――――― 公益財団法人大阪国際平和センター(ピースおおさか別ウィンドウで開く)では、日本とポーランドの国交樹立100周年を記念し、戦争の悲惨さと平和の尊さを考えていただく機会として、大阪大空襲平和祈念事業講演会や、特別展、映画上映会等を実施します。 大阪大空襲平和祈念事業講演会 日本・ポーランド国交樹立100周年(1919-2019)記念事業 「日本とポーランド 実は近い国(親(ちか)い国)?!」 第一次世界大戦終結までの123年間、地図から姿を消していた国「ポーランド」。日本にあまり馴染みのない、遠い国かと思っていたら大間違い!第二次世界大戦中も、その関係は続いていたのです。 1. 日時:平成31年3月10日(日曜日)14時から15時45分 2. 会場:ピースおおさか 1階講堂(大阪市中央区大阪城2番1号) 3. 内容:第1部「『ポーランド』ってどんな国?」 ユスティナ・ログスカ氏(ポーランド広報文化センター副所長) 第2部「日本とポーランド ~1世紀以上にわたる強い絆~」 河添恵子氏(ノンフィクション作家) 4. 対象:どなたでも 5. 申込方法:電話にて受付(先着順) 6. 定員:250名 7. 参加費:無料(ただし、ピースおおさかの入館料は必要です) 8. 主催:公益財団法人大阪国際平和センター( ピースおおさか) 9. 後援:駐日ポーランド共和国大使館、ポーランド広報文化センター ――――――――――――――――――――――――――――― (参考・・・動画) カチンの森事件・・・・・ソ連赤軍の、あるまじき大犯罪です(はんぺん) http://www.youtube.com/watch?v=5V94KSqAVJc&list=PL640111A03C99A5CC カティンの森事件(ウイキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6 カティンの森(ウイキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE ―――――――――――――――――――――――――――――――――― カチンの森事件(世界史の窓のHPから) 1940年、ソ連軍のポーランド侵攻の際、多数の将兵が殺害された事件。真相は長く伏せられていたが、1990年、ソ連軍の犯行であるこを認めた。 第二次世界大戦開始と同時に始まったソ連軍のポーランド侵攻に際し、1940年3月~4月にソ連内務人民委員部(NKVD。KGBの前身)が、ポーランド将兵数千を虐殺、カチンの森に埋めたとされる事件。 43年4月13日ドイツのベルリン放送が、約3000の遺体を発見、ソ連(ボリシェビキ)の犯行と発表、ソ連は直ちに反論、ナチスが自らの犯行をかくし、反ソ宣伝に利用したと主張した。亡命ポーランド政府の調査依頼にはソ連は応えず、うやむやにされ、戦後親ソ的政府のもとでタブーとされた。 カチンはロシアのベラルーシ国境に近い森林地帯にある。 ソ連軍の犯行が明るみに ようやく1987年、ゴルバチョフ政権のもとで真相究明が始まり、90年4月ソ連が自国の犯行を認め、ポーランド政府に対し、謝罪した。 事件の背景には、独ソ戦開始後、ドイツ軍を追いつめてポーランドの解放を進めていたソ連が、大戦後のポーランドに影響力を強めたいと考え、イギリスと協力しているロンドンのポーランド亡命政府の指示で国内に残っていたポーランド軍を抹殺することを図ろうとしたことが考えられる。ソ連はポーランド解放後の政府として共産党を主力としたルブリン政府を組織しており、その力によるドイツ支配に対する抵抗運動を援助していた。 また、1944年には亡命政府に呼応したワルシャワ市民が蜂起したが、ソ連軍はワルシャワ近郊まで進撃していながら、このワルシャワ蜂起を支援せず、多くの市民の犠牲が出るという悲劇も起こった。<渡辺克義『カチンの森とワルシャワ蜂起』シリーズ東欧現代史1 岩波書店> 現在明らかになったいるのは、犠牲となったのはソ連の捕虜となったポーランド人将校らで、3つの収容所に送られ、40年4~5月の間、カチンの森での約4400人を含め、3ヶ所で約1万4500人が秘密警察の内務人民委員部によって銃殺された。その他に現在のウクライナ西部の刑務所に収容された約7500人も銃殺されたとされている。<朝日新聞 2010年4月11日解説記事による> プーチン、カチンの森で追悼 カチンの森事件から70年を迎えた2010年4月7日、ロシアのプーチン首相はロシア西部のカチンにポーランド首脳を初めて招いて式典を開き、犠牲者を悼んだ。2000年にロシアがポーランドと共同で建てた慰霊施設「カチン・メモリアル」での式典で、ポーランドのトゥスク首相を迎えたプーチン首相は「スターリン体制の犯罪はどんな形であれ正当化できない。(ソ連の)数十年間、カチンの銃殺についての真実を汚そうとするうそが続いてきた」と述べ、改めて虐殺の犠牲者を悼んだ。 プーチン氏が初めてカチンで式典を開き、再び和解に乗り出した背景には、反ロシア感情の根強いポーランドなどの東欧、バルト諸国との関係修復のために、「過去のトゲ」を取り除く方向に舵を切ったことにある。 父がカチンの森で殺された犠牲者の一人であり、映画『カティンの森』を撮ったポーランドの映画監督アンジェイ=ワイダも式典に招待された。ワイダは「事件から70年、遺族も高齢化している。事件の記憶を無くさず、正しく伝えるために映画を撮った。歴史の証人としてポーランドとロシアの和解が進むことを期待する」と述べた。<朝日新聞 2010年4月8日記事> 更なる悲劇が襲う ところが「カチンの森追悼式典」は更なる悲劇を生み出してしまった。4月10日、式典参加のために現地に向かっていたポーランド政府の大統領専用機がロシアのスモレンスク近郊で墜落、レフ=カチンスキ大統領夫妻と式典に向かう事件の犠牲者の家族多数が死亡するという大事故が起こった。 4月7日行われた最初の式典ではポーランドからトゥスク首相が出席した。なぜ大統領がこの時一緒でなかったか。実はカチンスキ大統領はカチンの森事件をソ連の犯行として厳しく批判する姿勢を崩さず、和解を求めるロシアを拒否していた。プーチンは7日の式典にはカチンスキを招待していなかっのだった。しかしライバルであるトゥスクが式典に参加して、今後の保障問題などの窓口になっていくことはカチンスキにとっては都合が悪い。またカチンの森事件に関心の高いポーランド国民に対しても式典に参加しなかったことは選挙に不利になるという判断が働き、急遽10日にメドベージェフ・ロシア大統領の主催する追悼式典に参加することにした。それが裏目に出て飛行機事故に遭ってしまったのだった。<朝日新聞 2010年4月11日記事>