日本の反核運動が世界の現実と向き合うべき時、「核軍縮」「核廃絶」など、どこ吹く風の国際社会 2015.6.10 古森 義久 Japan Business Press
これまでの、日本の反核運動が、皮肉にも、人民中国によって、否定されるという皮肉な現状について,どう総括するのか・・・・真剣に考える必要がある。これまでの広島・長崎の8月の原水禁の世界大会では、中国やロシア(旧ソ連)の核兵器に対して、どれだけ、真剣に対応(非難)してきたのか? そのあたりは、実際には、ボカサレテきたのではないか・・・?と思えるのだが・・ この資料を見てわかるように、ウクライナは、ソ連からの独立に際して、「核」を放棄してしまったことで、その後のロシアからの「クリミヤ侵略」などを、安易に許してしまった・・・という厳しい現実をどうみるのか? 反核運動家の人たちに、ぜひ、お聞きしたい。 ぼくには、はっきり言って、わからない!! (はんぺん)---------------------------------------------------------------------------------------日本の反核運動が世界の現実と向き合うべき時、「核軍縮」「核廃絶」など、どこ吹く風の国際社会 2015.6.10 古森 義久 Japan Business Press 日本の反核運動もついに国際的な現実の厳しさに直面したようだ。広島、長崎の体験を基に核廃絶を叫んでいればこの世界から核兵器がなくなるという基本姿勢があまりに空疎であることが、改めて証明されようとしているのだ。 日本が経験した被爆の悲惨さは、もちろん全世界に向けて訴えられなければならない。人類史上、初めて核兵器の直接的な被害者となった広島や長崎の人たち、そして、その後継世代の人たちの実情や心情を世界にアピールし、将来に引き継いでいくことは日本の歴史的な使命とさえ言えるだろう。 しかし、それを踏まえたうえであえて述べるならば、日本のこれまでの反核運動は、国際社会で現実に存在する核兵器とその脅威によって否定されてしまったと言えよう。最近の2つの出来事によって、それが避けられない現実として被爆国の日本に突きつけられたのだ。日本の被爆国としての訴えを否定する中国 第1にはこの5月、広島、長崎の被爆地としてのアピールに中国が正面から反対を表明したことだった。 ニュヨークの国連本部で開かれた「核拡散防止条約」(NPT)再検討会議の最終文書に、日本政府は「各国指導者に広島と長崎への訪問を呼びかける」という文言を入れることを求めた。もちろん核兵器の被害を訴え、核廃絶に役立てるという意図だった。この案には同会議で発言した約10カ国の代表のすべてが賛意を表した。ところが、これに中国が反対した。「日本は自国を第2次世界大戦での加害者ではなく被害者として描こうとしていることには同意できない」という主張だった。 最終文書では結局中国の主張が通って、日本案は削除された。少なくとも中国は、日本を原爆投下の被害者として認めないというのである。 日本の反核運動は今まで中国に矛先を向けることがほとんどなかった。しかし日本の反核運動が、後発の核兵器大国である中国によって否定されつつあるという事実は重大である。 第2に、上記のNPT再検討会議自体が決裂したことだった。 この再検討会議は、核兵器の拡散の防止、そしてその削減を進めるために5年に一度開かれている。だが、今回の会議では、最終文書の内容をめぐって核保有国と核非保有国が激しく対立し、文書自体が不採択となった。そのうえ会議自体が決裂するという結果となったのだ。 対立の直接の原因は中東非核化構想だった。中東全域で核兵器をすべて禁止しようという構想である。 敵対するアラブ諸国に国家の保持を脅かされるイスラエルは事実上の核兵器保有国だとされる。イスラエルにとっては、非核化が実現すれば滅亡の危機に瀕するというわけだ。だから米国などイスラエルを支持する諸国がこの構想に反対した。 だが、その背景には、そもそも核兵器を持つ国と持たない国との根本的な対立が明白だった。会議では、核廃絶に具体的な期限を設けようと非核国家側が提案したが、核保有国側から反対された。 中国には、反核の主張がまったく通じない さて、この2つの出来事が明らかにするのは、現在の世界での核兵器の効果である。つまり、多くの国家が核兵器を自国の防衛や存続のために不可欠と考えているという現実である。 特に日本にとっては、核兵器の被害を訴えることさえも中国から反対されたわけで、事態は深刻だと言える。その結果、日本の反核運動の皮肉な側面が露わになってしまった。周知のように日本の戦後の反核運動は、日米同盟に難色を示し、ソ連や中国という共産主義陣営を支持する左翼勢力に主導されてきた。 具体的には日本共産党や旧日本社会党が中核となる勢力である。だから、核兵器の糾弾もその矛先は本来、日本を防衛するはずの米国側の核兵器に向けられた。 ソ連や中国の核を非難することは少なかった。「ソ連や中国などの社会主義国の核兵器は平和維持のためであり、非難すべきではない」という向きさえあった。 ところがその中国から、日本の被爆国としての訴えを否定されたのである。これは日本の反核運動にとって、運動の意義の全面否定にもつながりかねない重大な事態だと言ってよい。 そもそも、中国は自国の核兵器を美化し礼賛する国である。私が産経新聞中国総局長として北京に駐在していた1999年10月、中華人民共和国は建国50周年を祝った。 その際、中国の核兵器開発に貢献した科学者や軍人たちが中国政府から大々的に感謝され、表彰された。「核兵器は素晴らしい」というわけだ。日本の反核の主張とは、まさに黒と白のように正反対で、まったく相容れない。戦後70年、ついに認めざるを得なくなった現実 日本の反核運動は、こうした中国の現実に対してなぜ座視を続けてきたのか。日本の反核運動は、中国が核兵器開発の達成を宣言した1964年からこれまでの半世紀、中国を正面から具体的に非難したことはないようだ。だが、広島や長崎の被爆さえも意味がないと断じる中国の姿勢は、日本の反核運動を根幹から否定していると言ってよい。 今回のNPT再検討会議の決裂は、日本が被爆国として、核兵器の惨禍をどれだけ強調し、核廃絶、核軍縮を声高く叫んでみても、核保有国が実際に核を減らしたり、なくすことはないという事実の証明だったとも言えよう。 戦後70年にして、日本の反核運動にとって今回の国際的な動きは、ついに現実を認めざるを得ない「真実の時」が来たということではないだろうか。 NPT再検討会議での核保有国の言動は、それら諸国が核兵器を自国の防衛や抑止に欠かせない手段だと見なしている事実を改めて鮮明にした。国家安全保障を支える核兵器という概念である。ただし、実は日本も、米国の核兵器の能力を「核の傘」として自国の防衛に取り込んでいる。日本がもし他国から核兵器の攻撃や威嚇を受けた場合、米国はその核戦力で日本を守ることを誓約し、それが潜在敵国の核の力の利用を抑えるという「拡大核抑止」の保証である。核兵器は使われなくても強烈な効果を発揮 国際政治において、核兵器を保持することは国家の地位やパワーまでをも変えてしまう。NPT体制に入らず、米国などの反対を押し切って核武装を達成したインドやパキスタンも、いったん核保有国になったことで、米国はじめ国際社会からそれまでとはガラリと異なる態度で扱われるようになった。 主要諸国は以前よりもずっと丁重かつ慎重な態度で、インドとパキスタンに接するようになったのだ。 無法国家扱いされる北朝鮮も、さらにはイランも、核兵器の保有に努めることで、米国などの主要国家に対して一定の存在感を誇示している。 核保有国に対しては、他の核保有国をも含めて諸外国がみな極めて慎重な対応になることは明白である。核兵器は、たとえ使われなくても強烈な効果を発揮するのである。 この点について、ロシア問題の権威である袴田茂樹氏(新潟県立大学教授)が6月8日の産経新聞に寄稿した論文で興味深い指摘をしていた。「ウクライナが核兵器を(放棄せずに)保有していたなら、その抑止力で(ロシアによる)クリミア併合もウクライナ東部の紛争もあり得なかった」というのだ。ウクライナは旧ソ連邦内の共和国だった時代は核兵器を保有していた。だが、ソ連崩壊とウクライナ独立の後、欧米各国などの圧力で核兵器を自主的に放棄したのだ。 こうした国際社会の現実を、日本の反核運動も、また国を挙げてその運動を支持してきた日本国民一般も、いやでも直視しなければならない時が来たようである。