表横浜散策(日本丸)
先日、表横浜をふらついていたら、日本丸の誕生日ということで乗船することが可能だった。残念ながら携帯のカメラしか持ってなかったがとりあえず写真をUPWikipediaで日本丸のことを調べてみると1927年(昭和2年)3月、鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」は千葉県銚子沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。2隻の建造費は合計182万円、当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸の川崎造船所が担当した。1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられた。同年3月31日には艤装を終え、文部省に引き渡された。同年にはミクロネシアのボナペ島へ初の遠洋航海を行った。その後、太平洋を中心に訓練航海に従事していたが、太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)に帆装が取り外され、大阪湾、瀬戸内海にて石炭などの輸送任務に従事した。戦後は海外在留邦人の復員船として25,428人の引揚者を輸送した。1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では米軍人や韓国人避難民の輸送といった特殊輸送任務に従事した。1952年(昭和27年)、ようやく帆装の再取り付けがなされ、翌年春にはハワイに向け、戦後初の遠洋航海を行った。1984年(昭和59年)9月16日の退役まで、約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てた。その後、海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世が担っている。昭和5年に建造されたなんてちっとも知らなかった。ということは80歳くらいか。しかし。182万で2隻の船を作れるなんてすごい時代だね。今日は、遅い帰りなので飲みは無しです。