四天王寺
たまにはお寺にも参詣します。神社巡りをする際、とても役に立っているのが古代史や神話の知識。日本書紀や古事記をひもとくきっかけとなったのは厩戸皇子でした。私は厩戸皇子への興味から古代史にハマリました。ちなみに厩戸皇子とは聖徳太子のことです。きっかけは社会人になったばかりの頃、当時付き合っていた彼女から借りて読んだ少女漫画です。 山岸凉子作「日出処の天子」という漫画。あれからずいぶんと私の歴史観も、厩戸皇子に対する評価も変わりましたが厩戸皇子は今でも私にとって特別な存在です。この10年ほどは神社巡りが主ではありますが、厩戸皇子ゆかりの地に関しては明日香村や法隆寺など、思い出したように時折いくつかの地を訪ねています。 聖徳太子廟のある叡福寺や父・用明天皇陵などがある、大阪・太子町の科長(しなが)も(あのあたりは「日本版・王家の谷」と呼ばれています) 時々訪れるお気に入りの場所です。 初めてここに来たとき、私は回廊の屋根裏を見てがっかりしたのを覚えています。コンクリートにペンキを塗った代物だったからです。それは「擬木」とも呼べない適当な造りに見えてしまいました。 金堂や五重塔も鉄筋コンクリート製で、鮮やかな色もアダっぽく見えたのです。しかしやはり日本の仏教の始まりに関わったお寺だけあって、 今ではコンクリート製とは思えない風格が感じられます。 よく見れば、法隆寺のようなエンタシスの柱もコンクリートですし釣り灯篭には電気のコードがつながれています。私は長年、左脳で分析をすることばかりに気をとられていましたがこうやって全体を見渡せば、四天王寺はやっぱり素晴らしいお寺だと思います。またまた味気ない話ではありますが 、創建当時の四天王寺は宗教施設と言うよりは、国威を示すシンボルの性格がつよかったかも知れません。長年に渡る多くの人々の祈りを経て、コンクリート製の四天王寺は新たな役割を持ち巨大な「装置」として動き初めているのではないか・・・。そんな妄想を抱きつつ、厩戸皇子に想いを馳せるのです。四天王寺の境内についての詳細は過去記事をご参照ください。四天王寺 1四天王寺 2四天王寺 水の巻四天王寺 石の巻ちらほらと早咲きの桜の便りを耳にします。昨年は梅も桜もほとんど観る機会がありませんでした。この四天王寺の写真は一昨年の春に撮影したものです。四天王寺の桜も実はピークを過ぎたものでなんとか花が残っていた部分を切り取ったものです。2年前の記事を書くのはネタ不足というわけではありません(多分)。厩戸皇子に関することや、厩戸皇子を祀る神社を紹介していたサイトで先日から立て続けにここの過去記事が話題になっていたのです。いい機会なので、その記事をリメイクしようと思ったのです。わけあってその記事は「裏ばなし」の方でご紹介します。上の写真は五重塔と日本一の高層ビル「あべのハルカス」難波(なにわ)の最も古いシンボルと、最も新しいランドマークの競演です。「裏ばなし」の方では、厩戸皇子を祀る神社の貴重な写真などをご紹介しています。厩戸皇子を祀る神社謎の奥宮「龍水御朱印帳・裏ばなし」.