「ジョバンニの島」のモデルとなった元島民の実話を紹介!~その1
★総務部北方領土対策本部です★いよいよ、明日放送される北方領土舞台にした映画「ジョバンニの島」のモデルで終戦時に色丹島に住んでいた「得能宏」氏のお話が映画のパンフレットに掲載されていますので紹介します。 〇故郷の思い出色丹島は、美しい自然に恵まれた小さな島だ。入り江や湾が多く、いくつかの山があり、豊かな高山植物が生い茂っている。本作のオープニングシーンに出てくるエトピリカ(海鳥)も多く棲息している。卵を獲りに行くエピソードは、得能さんが実際にそうして遊んだという子供時代の話だ。 〇ソ連軍上陸昭和20年9月1日の朝7:30頃、突然何の前触れもなく軍艦船と輸送船が色丹島・斜古丹湾に現れ、完全武装した600~700人のソ連兵があっという間に上陸した。当時の村民はおよそ300人、まだ11歳だった得能さんは、「殺されると思った」と語る。アメリカの進駐を身構えていたのに、予想もしなかったソ連兵がやってきたので、なお一層の恐怖心を抱いたのだ。日本軍の暁部隊は3000人いたが、ソ連兵は傍若無人な態度で話し合いもなかったという。上陸後すぐにソ連兵は、島民の家と貴重品を奪った。得能さんの家は不便なところにあったため、しばらくは没収を免れたが、翌年の春先には一家8人が窓もない真っ暗な倉庫に移り、そこで2年間暮らした。劇中においても、純平たちが住む家屋はソ連兵に接収され、家族が厩舎で暮らすというシーンがある。米は日本軍が残していった備蓄があり、野菜を作り、魚を釣ってしのいだ。 〇ロシアの子供たちとの交流まもなく兵士たちの家族が続々と上陸した。得能さんと2歳下の弟を始めとする日本人の子供たちは、ロシアの子供たちと交流するようになる。斜古丹湾の白い砂浜で、相撲をとって遊んだ。女の子たちはタンポポで首飾りを作った。ターニャという将校の娘が、「とっても可愛かった」と得能さんは振り返る。本作のターニャのモデルだ。ターニャの母親も美しい人で、バターと砂糖をたっぷり塗った白パンや手作りのお菓子を、得能さん兄弟に分けてくれたという。(出典:「ジョバンニの島」映画パンフレット) 明日の掲載に続きます。お楽しみに。 ☆「ジョバンニの島」放映日時 明日、5月22日(金) 午後10時から BSフジ(BSチャンネル181)~ 地上波の放送と同じように録画もできますよ!