ねむろのちょっと歴史たび第36回「午」
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 年が明けて一ヶ月がたちました。場所によっては、旧正月(新暦の平成26年1月31日)行事も終え、本格的に平成26年が始まったのはないでしょうか。 そこで今回は、今年の干支である馬(午)の話をしようと思います。 第11回「根室市明治公園」でも紹介したように、根室は牧畜に適した土地でした。 当時、馬は自由放牧されており、冬に積雪の少ない根室では、大雪による飢餓が少なかったと思われます。 しかし、いかに牧畜に適するとはいえ、馬も高いものですので、明治15年に開拓使が廃止された頃でも、馬を買っているのは駅逓取扱人や漁場経営者くらいでした(駅逓は宿としての機能だけではなく、交通や開拓の拠点でもあったため、馬が必要だったのです。別海町奥行臼には現存している駅逓が保存されています詳細はこちら)。 軍馬の需要や農業・輸送の労働力としての需要が高まり、次第に根室での馬の取引も拡大していきます。 そして、大正9年、現在の厚床中学校に厚床家畜市場がオープンするのです。厚床家畜市場標柱 開かれたのは、毎年7,8,10月。道内4大家畜市場に数えられるほどの規模であったそうです。 そんな根室でしたので、馬に関わりのある信仰もあったようで、管内のあちこちに馬頭観音像がみられます。根室市初田牛:初田牛神社:平成25年8月撮影(読み方は難読地名シリーズ第9回参照です。フットパスの紹介はこちら)中標津町上武佐:上武佐神社:平成25年9月撮影(読み方は難読地名シリーズ第13回参照です。映画「遙かなる山の呼び声」のロケ地です。詳しくはこちら) 馬頭観音は、観世音菩薩(別名:観音菩薩、観自在菩薩)の姿の1つです。観世音菩薩といえば、現世に苦しむ人々を助けるため、様々な姿(千手観音や地蔵菩薩など)で現出する仏様です。馬頭観音は、頭上に馬があり、怒った顔をしていますが、馬のように疾く駆けつけてくれます。 頭上の馬に由来して、鎌倉時代には武士の間で人気があり、江戸時代には農耕のための馬の守り神として信仰を集めました。 さきほど、2枚ほど写真を掲載しましたが、管内で最も有名なのは、別海町矢臼別の厨子入南矢臼別馬頭観音像(別海町有形文化財)でしょう(「矢臼別」の読み方は難読地名シリーズ第10回を参照です)<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら google mapはこちら これは、国後島泊村古丹消に安置されていたものです。 保安上の観点から、現在ではお堂に馬頭観音は安置されていませんが、毎年6月15日には、一般に公開し、観音祭が開催されます。 この馬頭観音は、管内の馬文化だけはなく、北方領土の歴史も伝える貴重な史料なのです。 さて。 このように栄えた馬文化でしたが、終戦後、軍馬の需要がなくなり、小型輸送車が登場したため、衰退していきます。 最盛期には5,000~6,000頭の馬が売買された厚床家畜市場も昭和42年に閉鎖します。 しかしながら、馬の文化は潰えたわけではありません。 今でも管内ではホーストレッキングなどで馬と触れ合うことができます。 これをご覧の皆さんも、根室の馬に乗ってみませんか? 参考HP:別海町HP参考:厚床家畜市場標柱説明板参考:南矢臼別馬頭観音堂説明板参考文献:根室市史参考文献:ふるさとの思い出 明治・大正・昭和 根室(編 谷 正一)参考文献:仏像がわかれば仏教がわかる(著 春日 了) ■補足 かつて、根室市には根室競馬場もありました(昭和4年~13年、主催は根室畜産組合、場所は月ヶ丘)。競馬の日には1日1万5000人以上の人で賑わったそうで、缶詰工場も臨時休業にしたというから驚きですね。・南矢臼別馬頭観音堂の情報はこちらから・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓