桜井市の鳥見山・等彌神社と宗像神社
久々にSilent Night, Holly Night と歌われた聖夜(きよしこの夜)そのままの、しずかなジーザス・クライスト生誕にふさわしいクリスマスとなりそうで、これもコロナ様のお蔭である。さて、伊那佐山を登場させたからには無視のできないトポスを次々とご紹介することにする。 忍阪と三輪のエリアを分けて南北方向に流れる粟原川(山の辺の道あたりでは寺川となる)を西に越えると、式内社の宗像神社がまもなく見えてくる。宗像氏は初期の王権を支えた古代雄族のひとつで、天武帝と宗像の娘の間に生まれ、壬申の乱で大活躍した高市皇子(たけちのみこ)と深いつながりのある神社である。 延喜式・式内大社の宗像神社の背後の山が鳥見山で、宗像社のある山麓をさらに西へ少し歩くと山の西側にあたるところに等彌(とみ)神社がある。ここから桜井市の鳥見山へ登った。 生駒北端の宝山寺の麓あたりにも同名の富見の地がひろがっており、宇陀にもあり、このあたりの人たちは、奈良県でもひそかにしっかりと富をたくわえているのかもしれない。 書紀によれば、神武大和入りの以前に、もう一人の天孫で物部の祖とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降(あも)ったとされる磐船神社があり、そこもとみの地にあるから奈良盆地には方々にトミと呼ばれる地だらけなのだ。そのひとつが桜井の鳥見山でこちらは神武天皇に関連づけられている。 この等彌神社左脇から鳥見山へ参拝できる。標高245mの小山だが、道中のカワラタケや大ぶりのキクラゲらと対話を交わしながら30分も歩くと頂上にいたる。ここが小さいながらも独立峰であることは重要である。 この頂上にある石碑には見慣れぬ文字がきざまれている。霊畤(れいじ)とは、大嘗祭の場所のことをいう。天皇家初代の神武が国家を平定し、橿原市で即位された折にその大嘗祭がここで行われたとされる。 この鳥見山が奈良盆地の内外の方々にあるというのは、天皇家の万世一系が、我々が考えるほど単純なものではなく、まさにその血統が理念上のものであることを示している。 この2020年の歳晩の日々、三輪山の始原の姿を求めてムックきのこクラブで歩いた日々の記憶をお伝えしたい。三輪山参拝が重層化して記憶に刻まれれば幸いである。やがて「月のしずく」でもこれらを参考に、多角的に検討していく。